9月9日、水曜日台風18号がやってきました

 今日9月9日から11日まで、関西へ出張です。台風18号が日本に上陸しました。
飛行機はだいぶ揺れましたけど今、無事大阪伊丹空港に着きました。そこからバスと近鉄で赤目口まで移動中です。
 伊丹空港から近鉄上本町までリムジンバスで40分かかりました。上本町の近鉄百貨店で昼食(日替わり定食)をとり、近鉄大阪線名張行きの電車で三重県の赤目口まで約1時間でした。
 台風一過、午後2時半には晴れています。すっかり秋晴れになりました。
 JALのE60は、小型機ですが、途中、ときどき揺れましたが、安心して乗ることができました。
 赤目口駅は、四十滝で知られる観光地のようです。あの車谷長吉さんの「赤目四十八滝心中」の赤目四十八滝なのでした。
 赤目の森エコリゾートはナショナルトストの運動の一環としてNPO法人の「赤目の里を守る会」が里山保全に努めています。「赤目エコリゾート」のスタッフの女性に駅に迎えに来てもらい、5分程でエコリゾートに着きました。
 まず代表者の伊井野さんが挨拶をして、所内を説明してくれました。そのあと、森を案内してもらいました。200ヘクタールの園内の約半分でしたが、それでも一時間以上かかりました。国際ワークショップの若者の協力で、間伐、下草刈りをして里山保全しているのです。
 森の見学のあと、「赤目の里山を守る会」代表(所長)の伊井野さんの講義が一時間半あり、ゲストルームにもどり、風呂のあと夕食になりました。食堂兼ミーティングルームで11時まで懇談しました。、
 赤目の町は名張市にありますが、歴史の古い豊かな佇まいの瓦屋根の大きな家が並んでいました。

 今日の子規歳時は、
 コホロギヤ物音絶エシ台所 (1901年、明治34年9月9日)
 子規が河之内の滝見物に行った4年後の28年11月、夏目漱石も滝を見に行き、近藤家の書画帳に子規の歌句を見つけ「不覚破顔微笑」したことを、子規にあてて書き送っています。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言60です。
 我也曾有如现在的青年一样,
 向已死和未死的导师们问过应走的路。
 他们都说;不可向东,或西,或南,或北。
 但不说应该向东,或西,或南,或北。
 我终于发见他们心底里的蕰蓄了;不过是一个「不走」而已。
 Wǒ yě céng yǒurú xiànzài de qīngnián yīyàng,
 xiàng yǐ sǐ hé wèi sǐ de dǎoshīmen wènguò yīng zǒu de lù.
 Tāmen dōu shuō; bùkě xiàng dōng, huò xī, huò nán, huò běi.
 Dàn bù shuō yīnggāi xiàng dōng, huò xī, huò nán, huò běi.
 Wǒ zhōngyú fā jiàn tāmen xīndǐ lǐ de wēn xùle; bùguò shì yīgè `bù zǒu'éryǐ.
「私もかつては、今の青年たちと同様に、すでに亡くなった、あるいはまだ亡くなっていない指導者たちに、歩むべき道を訊ねたものだ。彼らはみなこう言った。東、あるいは西、あるいは南、あるいは北に向かってはならない、と。しかし、東、あるいは西、あるいは南、あるいは北に向かうべきだ、とも言わなかった。私はようやく彼らの腹の底にある蘊蓄を発見した。それはただ、「行くな」ということだった。」

 今日の論語一日一章は、論語10-21(論語巻第五 郷黨第十篇 21章)です。
 子見齊衰者、雖狎必變、見冕者與瞽者、雖褻必以貌、凶服者式之、式負版者、有盛饌必變色而作、迅雷風烈必變。
 Zi jiàn qí shuāi zhě, suī xiá bì biàn, jiàn miǎn zhě yǔ gǔ zhě,
 suī xiè bì yǐ mào, xiōng fú zhě shì zhī, shì fù bǎn zhě,
 yǒu shèng zhuàn bì biànsè ér zuò, xùnléi fēng liè bì biàn.
「子、斉衰の者を見ては、狎れたりと雖ども必ず変ず。冕者と瞽者とを見ては、褻と雖ども必らず貌を以てす。凶服の者にはこれに式す。負版の者に式す。盛饌あれば必らず色を変じて作つ。迅雷風烈には必らず変ず。」
孔子は斉衰の喪服をつけた人にあうと、懇意な間柄でも必ず様子を改められた。冕の冠をつけた人と目の悪い人にあうと、親しい間柄でも必ず様子を改められた。喪服の人には式の敬礼を行い、戸籍簿を持つ者にも式の敬礼をされた。立派なごちそうにあずかると必ず顔つきを整えて立ち上がられた。ひどい雷や暴風には必ず居ずまいを正された。)