4月10日、行かば我筆の花散る処まで

 今日は4月10日、日曜日です。朝7時に起きて、8時出発の六ケ所再処理工場フィールドワークのガイドの仕事に間に合わせました。8時半から10時に正門前につくまで、六ケ所再処理工場をはじめとする核燃サイクル施設の現状と問題点について解説してきました。青森駅まで同乗して、3時に家に帰りました。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言276です。
 愿中国青年都摆脱令气,只是向上走,不必听自暴自弃者流的话。能做事的做事,能发声的发声。有一分热,发一分光,就令萤火一般,也可以在黑暗发一点光,不必等候炬火。
 Yuàn zhōngguó qīngnián dōu bǎituō lěngqì, zhǐshì xiàngshàng zǒu, bùbì tīng zìbàozìqì zhě liú dehuà. Néng zuòshì de zuòshì, néng fāshēng de fǎ shēng. Yǒuyī fēn rè, fā yī fēnguāng, jiù lìng yíng huǒ yībān, yě kěyǐ zài hēi'àn lǐ fā yīdiǎn guāng, bùbì děnghòu jùhuǒ.
 「中国の青年は、みんな冷淡な態度から抜け出して、ひたすら上向きにあるき、自暴自棄者流のいうことなどを聞かないように希望する。仕事のできるものは仕事をする、声の出せるものは声を出す、一分の熱があれば、一分の光を出す、たとえそれが蛍の火のようなものであっても、暗黒の中では一点の光を出すことができる、必ずしも炬火(たいまつ)の光を待つ必要はない。」

 今日の論語一日一章は、論語18-1(論語巻第九 微子第十八篇 1章)です。
 微子去之、箕子爲之奴、比干諫而死、孔子曰、殷有三仁焉、
 Wēi zi qù zhī, jī zi wèi zhī nú, bǐ gàn jiàn ér sǐ, kǒngzǐ yuē, yīn yǒusān rén yān,
 (微子去之,箕子为之奴,比干谏而死,孔子曰,殷有三仁焉,)
 「微子はこれを去り、箕子はこれが奴と為り、比干は諫めて死す。孔子曰わく、殷に三仁あり。」
 (殷王朝の末期、紂王が乱暴であったため、微子は逃げ去り、箕子(きし)は狂人のふりをして奴隷となり、比干は諫めて殺された。孔子はいわれた「殷には三人の仁の人がいた。」と。つまり、しわざは違うけれども、みな国を憂え、民を愛する至誠の人であった、と。)