6月19日、一群の鮎眼を過ぎぬ水の色

 今日は6月19日、日曜日です。今日は、昼が駅前で9条の会のスタンディングアピール、午後1時から選挙のポスター張りです。夜は吉川さんと沖舘の軍鶏で一杯やりました。
 この選挙で社民党の吉田党首は社会民主主義を口にしました。しかし、その社会民主主義の目標も当面の到達点もしめすことなく、有権者に耳ざわりのよい「抜粋」すら提示することなく今日まで推移しています。これでは当選はおぼつかいでしょう。反面、安倍という人は、憲法改正をおくびにもださず、ひたすら経済の上昇面だけを耳ざわりの好い語り口で誇張とこじつけだけで、国民の歓心をかって、煙に巻いています。有権者は全体を見渡せずに、時の流れに身をまかせているように見えます。国民はまちがいなく「迷路」に引き込まれているのです。
 理念やら思いをいかに「抜粋」して示すかが大事か、魯迅箴言を読んで、改めて感じています。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言347です。
 还有一样最能引读者入于迷途的,是「摘句」。它往往是衣裳上撕下来的一块绣花,经摘取者一吹嘘或附会,说是怎样超然物外,与尘浊无干,读者没有过全体,便也被他弄得迷离惝恍。
 Hái yǒu yīyàng zuì néng yǐn dúzhě rù yú mítú de, shì `zhāi jù'. Tā wǎngwǎng shì yīshang shàng sī xiàlái de yīkuài xiùhuā, jīng zhāi qǔ zhě yī chuīxū huò fùhuì, shuō shì zěnyàng chāoránwùwài, yǔ chén zhuó wúgān, dúzhě méiyǒuguò quántǐ, biàn yě bèi tā nòng dé mílí chǎng huǎng.
 「同様に読者を難なく迷路に引き込むのは”抜粋”である。それはほとんど、まるで衣装から引き裂かれた刺繍の花模様のようで、引き裂いた者がひとたび誇張し、こじつけて、その花がいかに超然として俗塵にまみれていないかを説けば、読者は全体を見渡せずに、翻弄されて煙に巻かれることになる。」