7月11日、打ちわくる水や一番二番町

 7月11日、月曜日です。昨日までのあの騒々しさが嘘のようです。青森では自民党が負けたとはいえ、全国的には大勝利の与党のどうだといわんばかりのにんまり顔が目に浮かびます。
 共産党は、昼には最賃引き上げなどで座り込み行動をしていました。タフなのは思想だけではないようです。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言363です。
 我们先前的批评法,是说,这苹果有烂疤了,要不得,一下子抛掉。然而买者的金钱有限,岂不是大冤枉,而况此后还要穷下去。所以,此后似乎最好还是添儿句,倘不是穿心烂,就说;这苹果有着烂疤了,然而这儿没有烂,还可以吃得・・・所以,我又希望刻苦的批评家来做剜烂苹果的工作,这正如”拾荒”一样,是很辛苦的,但也必要,而且大家有益的。
 Wǒmen xiānqián de pīpíng fǎ, shì shuō, zhè píngguǒ yǒu làn bāle, yàobùdé, yīxià zi pāo diào. Rán'ér mǎi zhě de jīnqián yǒuxiàn, qǐ bùshì dà yuānwǎng, érkuàng cǐhòu hái yào qióng xiàqù. Suǒyǐ, cǐhòu sìhū zuì hào huán shì tiān er jù, tǎng bùshì chuān xīn làn, jiù shuō; zhè píngguǒ yǒuzhe làn bāle, rán'ér zhè'er méiyǒu làn, hái kěyǐ chī désuǒyǐ, wǒ yòu xīwàng kèkǔ de pīpíng jiā lái zuò wān làn píngguǒ de gōngzuò, zhè zhèngrú” shíhuāng” yīyàng, shì hěn xīnkǔ de, dàn yě bìyào, érqiě dàjiā yǒuyì de.
 「われわれのこれまでの批評はこうだった。「このリンゴにはきずがある、役にはたたない」といって、ポンと捨ててしまう。しかし、買う方はいくらも金をもっていないのだから、これでははなはだ迷惑千万である。まして、今後はもっと貧乏になるのだ。だから、今後は次のようなことを言い添える方が一番よいと思われる。もしも芯まで腐っていなかったら、「このリンゴにはきずがある。しかし、このへんは腐っていないから、まだ食える」というのだ。こういう風にやれば、翻訳の良し悪しは明らかになり、そして読者の損失も少なくてすむのである。だから、私は、根気の良い批評家が腐ったリンゴをえぐる仕事をしてくれることを希望する。それはちょうど「落穂ひろい」と同様、はなはだ辛抱のいることであるが、必要な、しかもみんなに有益なことでもあるのだ。」