10月7日、夕栄や鰯の網に人だかり

 10月7日、金曜日です。今日は夕方まで新町事務所で仕事をして、6時からデジカメ展の反省会です。カバ3点とねぶたと桜の写真です。最下位間違いなしです。素人デジカメ展ですが、金澤先生はすでにプロ級です。その金澤先生から頂いたD200と渡邉先生にもらったキャノンの2台のカメラで四季のカバを撮っていますがなかなかうまくいきません。デジカメも川柳も、そして小説も才能がないのはわかっています。服部先生もさぞかし怒っておられるでしょう。デジカメも川柳もすべては小説のためといっても弁解にもなりません。それでも、川柳とデジカメもやめたら、二年越しで文学賞応募でもぬけの殻となったいま、毎日が空白になってしまいます。文学を続ける意味は川柳とデジカメがあるからといっても過言ではありません。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言338です。
 读死书是害己,一开口就害人;但不读书也并不见得好。至少,譬如要批评托尔斯泰,则他的作品是必得看几本的。
 Dú sǐ shū shì hài jǐ, yī kāikǒu jiù hài rén; dàn bù dúshū yě bìng bùjiàn dé hǎo. Zhìshǎo, pìrú yào pīpíng tuō ěr sī tài, zé tā de zuòpǐn shì bìděi kàn jǐ běn de.
 死書を読めば己を害し、口を開けば人を害する。しかし読書しないのもよいとは言えない。少なくとも、たとえばトルストイを批評すると思えば、その作品を必ず何冊かは読まねばならない。