魯迅箴言日記 2020/08/20 断腸花つれなき文の返事哉

 今日は8月20日、木曜日です。今日は、昼前に義叔母の出棺に立会、そのあと会議に出て、ゆうがた八戸に行きます。あすの視察の打合せで前泊します。

 

 今日の子規歳時は、「断腸花つれなき文の返事哉」(明治35年)です。子規が一目で夢中になった人のことを詠んだ句です。

 

 今日の日本国憲法は、第20条です。

 第20条〔信教の自由、政教分離

(1)信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

(2)何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

(3)国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

(この条文は、信教の自由と政教分離をうたったもので、8月15日の閣僚4人の靖国神社参拝は、明らかに憲法違反の行為です。)

 

 今日の魯迅箴言は、箴言365日の86日目「もしも、誰かが歴史を書いて、」です。

 (原文)

  倘有人作一部历史,

       将中国历来教育儿童的方法,

       用书,作一个明确的记录,

       给人明白我们的古人以至我们,

       则其功德,

       当不在禹(虽然他许不过是一条虫)下。

 (拼音)

  Tǎng yǒurén zuò yī bù lìshǐ,        
  jiàng zhōngguó lìlái jiàoyù értóng de fāngfǎ,        
  yòngshū, zuò yīgè míngquè de jìlù,      
  jǐ rén míngbái wǒmen de gǔrén yǐzhì wǒmen,        
  zé qí gōngdé,        
  dāng bùzài yǔ (suīrán tā xǔ bùguò shì yītiáo chóng) xià.

 (訳文)

  もしも、誰かが歴史を書いて、

  中国歴代の児童教育の方法、

  用いた本についての明確な記録をなし、

  我々の古人から我々までが、

  どのように薫陶されてきたかを明白にしてくれる人があったなれば、

  その功徳は、

  禹(彼は虫に過ぎなかったかもしれないが)に劣りはしないにちがいない。