3月26日、盥浅く鯉の背見ゆる春の水

 今日は3月26日、火曜日です。今日は11時に県の選管へ行き、選挙公営の書類の審査です。ポスターと選挙ビラの請求書類は受理され、選挙カー、燃料、運転手の公営についても事前審査をパスし、あとは選挙後に選挙カーの実績とともに請求書類を提出すればそれですべて終了です。この日は、選管にもうひとつ用事がありました。5年前の市議選の時、後援会をつくりましたが、それをこれまで、なにかあればと思い解散しないできました。それも、29年と30年の会計報告を提出する期限が4月1日に迫っていたのです。この際に、後援会も解散することにし、31年の会計報告も併せてすることにして、その書類も提出することにしたのでした。
 結局未記入の個所をその場で加筆して3年分の収支報告書も解散届も受理されて、僕の政治活動は終了しました。確実に第二の人生への歩みを始める準備が始まりました。

 今日の子規歳時は、「盥浅く鯉の背見ゆる春の水」です。
 僕の今日の川柳は、「盥の湯浴びてスプレーしてる春」です。

 今日の魯迅箴言は、箴言No85「二心集/知难行难」です。
 中国向来的老例,
  做皇帝做牢靠和做倒霉的时候,
  总要和文人学士扳一下子相好。
  做牢靠的时候是”偃武修文”,
  粉饰粉饰;
  做倒霉的时候是又以为他们真有
  ”治国平天下”的大道,
  再问问看,
  要说得直白一点,
  就是见于≪红楼梦≫上的所谓
  ”病笃乱投医”了。
 中国のこれまでの例によれば、
 皇帝になると安定しているときと逆境のときには、
 いつも文学者と文学者とつるんで仲良くしたがる。
 安定しているときは、「武を偃め文を修む」で、
 ごまかしの飾りをする。
 ほんとうに「治国平天下」の大道を心待ちにしている、
 と思って、いろいろ聞いてみるわけだ。
 はっきり言うと、
 つまり「紅楼夢」に見えている、
 「病気が重くなると、無茶苦茶に医者を求める」というやつだ。