今日は8月19日、水曜日です。2週間ぶりの生活クラブ生協の購入票の提出と前回申込商品の配達日です。それに、輝代さんの通院の送り迎え、昼にはスタンディングアピールがあり、そのあこ叔母ちゃんの弔問にいきます。
今日の子規歳時は、「挨拶や夏の羽織もつくろはず」(明治32年)です。子規は明治25年の夏の帰省中、松山高等小学校で10日間の文学講習会の講師をつとめています。実に25歳でした。
第19条〔思想・良心の自由〕
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。
(この条文は、思想と良心の自由をうたっています。)
今日の魯迅箴言は、箴言365日の85日目「中国のこれまでの例によれば、」です。
(原文)
中国向来的老例,
做要帝做牢靠和做倒霉的时候,
总要和文人学士扳一下子相好。
做牢靠的时候是”偃武修文”,
粉饰粉饰;
做倒霉的时候是又以为他们真有
”治国平天下”的大道
再问问看,
要说得直白一点,
就是见于「红楼梦」上的所谓
” 病笃乱投医”了。
(拼音)
(訳文)
中国のこれまでの例によれば、
皇帝になると、安定している時と逆境のときには、
いつも文学者とつるんで仲よくしたがるものです。
安定しているときには、「武を偃せ文を修める」ことで、
ごまかしの飾りをする。
逆境にあるときは、まだ彼らがほんとうに、
「国を治め天下を平定」する大道を心得ていると思って、
いろいろ聞いてみるわけだ。
はっきりいうと、
つまり「紅楼夢」にみえているように、
「病気が重くなると、無茶苦茶に医者を求める」というやつである。