魯迅箴言日記 2019/9/25 紫苑活けて机に向ふ読書哉

 今日は9月25日、水曜日です。昨日は8時半に眠くなり、朝4時半に起きました。頭がぼうっとして、いろんなことが脳裏を掠めて、日程錯綜の段取りを考えているうちに1時間が過ぎ、日課にとりかかりましたが、メールを読んだりしているうちにさらに1時間が経ってしまいました。昔、30代前半の頃、新城の淡谷悠蔵さんに、「人生は長いようで短い、時間はあっという間に過ぎてしまうから、時間を大切にして、勉強しなさい」と諭されたのをいまさらながら思い出しました。しかし、70歳からの新しい人生を誓った以上、「これからだ」という気持で頑張ります。朝の輝代さんとの食事と古川の事務所での一杯の珈琲を励みに頑張ります。今日は新しい仕事のミーティングが鰺ヶ沢のグランメールであります。それも大いに楽しみです。原発・再処理と再エネが私の小説を書く上での持続可能な人類社会のテーマでもあるからです。

 

 今日の子規歳時は、明治28年8月25日松山へ帰省し、漱石の下宿愚陀仏庵の1階で50日余り滞在しています。その頃のことを詠んだ明治31年の句です。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言251です。

 假使我的血该喂动物,

    我情愿喂狮虎鹰隼,

    却一点也不给癞皮狗们吃。

    养肥了狮虎鹰隼,

    它们在天空,岩角,大漠,丛莾里

    是伟美的壮观,

 捕来放在动物园里,

    打死制成标本,

    也令人看了神旺,

    消去鄙吝的心。

    但养胖一群癞皮沟,

    只会乱钻,乱叫,

    可多么讨厌!

 

 かりに私の血や肉を動物に食わせなければならないとしたら、

 どうか獅子や虎や鷹や隼に食わせたい。

 かさかき犬どもには、一片たりともやりたくはない。

 獅子や虎や鷹や隼を肥えさせれば、

 彼らは天空に、岩頭に、砂漠に、密林に、

 勇壮なる美観となるであろうし、

 捕えて動物園に置いても、

 殺して剥製としても、

 見る人を恍惚たらしめ、

 卑しい心を消し去らしめるであろう。

 だが、かさかき犬どもを肥えさせたところで、

 むやみに駈けまわり、吠え立てるだけで、

 さぞうるさいことだろう!