魯迅箴言日記 2019/10/4 亭ところころ渓に橋ある紅葉哉

 今日は10月4日、金曜日です。今日はGEAの事務所移転のお知らせと10月21日の映画「おだやかな革命」上映会の案内を出して、午後からOBGの監査会と総会議案の印刷です。家に帰って、小説の執筆と川柳句会の作句をする予定です。

 昨日は、壊れたPCの修理可能かどうかの診断にパワーデポに器材を持ち込み、21日の上映会の試写打ち合わせにアウガに行き、ついでにGEAの住所変更の手続きをしてきました。昼は駅前公園の9条の会のスタンディングアピールに参加し、家でラーメンを食べて、そのあと古川1丁目のGEA事務所でホームページの更新と会員宛ての文書を作成しました。とり平へ寄って、新しい焼酎をいれて2,500円払って帰りました。

 夕食後、書斎のパソコンを交代し、入力しやすいデルのPCを手前のデスクに移し、エプソンのPCを机のほうに替えました。またひとつ環境が整いました。

 

 今日の子規歳時は、漱石と一緒に道後温泉に遊んだときの明治28年の句です。渓とは鴉渓のことで、道後温泉に一浴し花月亭に憩いました。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言260です。

 魔鬼手上,

    终有漏光的处所,

    掩不住光明。

 だが悪魔のひろげた手にも、

 ついには光の漏れるところがあり、

 光明を掩いかくすことはできない。