魯迅箴言日記 2019/10/5 古塚や恋のさめたる柳散る

 今日は10月5日、土曜日です。今日は午後1時からおかじょうきの句会です。昨夜はGEAの発送作業に6時までかかってしまい、古川郵便局が閉まっていたので、小雨のなか家に戻り、着替えをして西郵便局へ出しに行って、そのあと三内の生協で輝代さんに頼まれていた買い物をして家に帰れたのは7時半でした。西局の窓口は少し混んでいて5分ほどまたされました。でも、金曜日中に発送できて良かったです。結局、夕食時に成田先生からまえにいただいて残しておいた金六福を50ccほど飲みました。かなり酔いました。そんなわけで、二階の書斎で賃金論、資本論にとりかかるまでもなく眠ってしまいました。もちろん、川柳の作句、小説の執筆もできませんでした。

 今朝は5時前に起き、日課にとりかかるとともに、昨日追加となった日程の書き込みをしました。昼までは輝代さんと家に居て、12時半には家を出て、おかじょうきの句会に参加します。今日は懇親会にも出るつもりです。

 

 今日の子規歳時は、明治28年の十月の初旬に漱石と道後に遊んだときの句で、一遍上人誕生の地でもある宝厳寺にも訪れ、「色里や十歩はなれて秋の風」の句碑が残っています。私も道後温泉には二度ほど行っていますが、20年以上も前、平野県民生協理事長と一緒に道後温泉に入った記憶がなぜか鮮明に残っています。そのあと、10年ほど前、母親の遺産を使って飛行場まわりをしたとき、松山空港から道後温泉へ行き、温泉につかり、足湯にも足をいれたのを覚えています。ただ、そのときは漱石のことは頭にありましたが、子規のことはありませんでした。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言261です。

 做一件事,

   无论大小,

   倘无恒心,

   是很不好的。

   而看一切太难,

   固然能使人无成,

   但若看得太容易,

   也能使事情无结果。