魯迅箴言日記 2019/10/20 虚子を待つ松蕈鮓や酒二合

 今日は10月20日、日曜日です。明日は、映画「おだやかな革命」の無料上映会(青森駅アウガ5階ホール6時開演)です。準備万端、あとはたくさんの人に映画をみてほしいと思っています。当日の天気がいいことを祈念いたします。

 今日は午後2時からの「青森県郷土作家研究会60周年記念講演会・祝賀会」に北狄の編集者として参加します。今日中に、文ノ楽の小説「三吉と美智」を完成させて、明日の朝に北の街社の斎藤さんに送るつもりです。

 21日はGEAの事務所移転の登記を済ませ、七和で行っている柏谷先生と青大の学生らによる薪作りの現場の写真をとりに行きます。午後からは、映画上映会の最終的な準備と今後のGEAの活動の企画案をねります。22日(国民の祝日)は県民エナジーの研修会でこちらも本格的に業務開始です。すでに古いパソコンを持って行ってありますので作業ができる状態になっています。

 

 今日の子規歳時は、子規が弟子の高浜清に虚子の雅号を送ったのが明治24年10月20日の書簡でであり、それにちなんで明治30年に詠んだ句です。松蕈とはマツタケのことだと思います。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言276です。

 愿中国青年都摆脱冷气,

   只是向上走,

   不必听自暴自弃者流的活。

   能做事的做事,

   能发声的发声。

   有一分热,

   发一分光,

   就令萤火一般,

   也可以在黑暗里发一点光,

   不必等候矩火。

 中国の青年はみんな冷淡な態度から抜け出して、

 ひたすら上を向いて歩き、

 自暴自棄者流のいうことなどをきかないように希望する。

 仕事のできる者は仕事をする、

 声を出せる者は声を出す、

 一分の熱があれば、

 一分の光を出す、

 たとえそれが螢の火のようなものであっても、

 暗黒の中では一点の光を出すことができる、

 必ずしも炬の光を待つ必要はない。