魯迅箴言日記 2019/10/27 柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺

 今日は10月27日、日曜日です。昨日は午後の3時から、ブルーノートで英明、壬生さんとの三人会でした。8時まで5時間、キリンビール月桂冠ジャックダニエルハイボールをたっぷりと飲み、三つの小鉢(キャベツの煮物、身欠きにしんに胡瓜の味噌、生ハム)をつまみに宗八カレイ焼とおしんこ、チーズなどをたらふく食べ、なごやかにゆったりと三人で話ができました。それに、ちかこ先輩にこあきさんが店に居て、びっくりしたのでした。そのあと、ていこさんが二人で来てラーメンを食べていき、7時にはよしこさんまで現れて、カティサークを飲み始めました。最後は同期会となり、四人ならんで、ほんとうに盛り上がりました。駅まで英明さんを送っていき、帰りにとり平へ寄ったら、そこに小川さん親子がおりました。本当に元気をもらえた一日でした。

 

 今日の子規歳時は、明治28年の愚陀仏庵の帰り、ひとまず須磨で保養し、そのあと奈良に遊んだときの句です。子規の代表作のひとつです。碧梧桐が「柿食ふて居れば鐘鳴る法隆寺」としなかったのかとの問いに、子規は「そうすれば、梢章々句法が弱くなる」と答えたそうです。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言283です。

 墨写的谎说,

    决掩不住血写的事实。

 墨で書かれたたわ言は、

 決して血で書かれた事実を隠しきれない。