魯迅箴言日記 2019/11/09 蓑笠をかけて夜寒の書斎かな

 今日は11月9日、土曜日です。朝7時に起きました。眠ったのは、午前2時でした。朝食を挟み、午前10時過ぎまで、議事録の詳細版を書いていました。とても勉強になっています。再生可能エネルギーによってしか、私たちは持続可能な社会をつくることは困難です。それだけに企業や自治体だけでなく、一般家庭のひとりひとりが、再エネ100%宣言を発することは大切です。私の家では屋根の太陽光のパネルが発電する電気で自家の電気の半分を消費し、残りの半分を東北電力に売っています。また、夜間のパネルが発電しない時間の電気は再エネ比率70%以上の生活クラブエナジーの電気を買っています。できれば、日中、東北電力に売っている電気を蓄電し、それを夜間に使えれば、自給自足できることになります。

 今日は幸いに、何もない土曜日なので、買い物以外は内をでることなく、日課をきちんとやり、小説を書き、川柳を作り、仕事もすませることにしたいと思います。

 

 今日の子規歳時は、明治24年の11月上旬に子規が蕨駅で買った蓑笠を、その後ずっと子規庵の柱にかけたままにしてあるのを眺めながら詠んだ明治31年の句です。病も重い子規が、寂しく書斎の柱に掛っている菅笠を見つめている句からは、いかにも孤独で寒々とした冬の夜の情感がつたわってきます。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言296です。

 用玩笑来应付敌人,

    自然也是一种好战法,

    但触着之处,

    须是对手的致命伤,

    否则,

    玩笑终不过是一种单单的玩笑而已。

 揶揄(からかい)で敵をあしらうのは、

 ひとつの有効な戦法だが、

 その突くところは、

 必ず相手の致命傷でなければならない。

 さもなければ、

 揶揄はただの揶揄に終わろう。