魯迅箴言日記 2019/12/27 冬籠る部屋や盥の浮寐鳥

 今日は12月27日、金曜日、今年の仕事納めの日です。今日は11時から浪岡で古村一雄さんの事務所の最後の忘年会があります。小山内さんの車に乗せてもらうつもりです。いろんな人が、それぞれの想いを抱きながら集まるでしょう。9時に古川の事務所へ出て、仕事納めの挨拶をします。午後2時から、青柳の事務所でも仕事納めの催しがあるようですが、気にはなりますが、おそらく足は向わないでしょう。気がかりなのは駒田さんです。余計な御世話だと叱られそうですが、そっと最後を見守りたいと思っています。

 

 今日の子規歳時は、虚子が生きた子カモを贈ってきたのが明治31年12月22日のことでした。子規が病室の中に盥を置き、カモが泳ぐさまながめて詠んだ句です。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言344です。

 成语和死古典又不同,

    多是现世相的神髓,

    随手拈掇,

    自然使文字分外精神,

    又即从成语中,

    另外抽出思绪;

    既然从世相的种子出,

    开的也一定是世相的花。

 成語は使い古された古典ともまた違い、

 多くは今の世相の真髄であって、

 意のままに取り入れれば、

 言葉はことのほか生き生きしてくる。

 さらに成語から思いがけぬ

 思考の糸口が導かれることもあり、

 世相の種から出てくる以上は、

 開くのは必ず世相の花である。