魯迅箴言日記 2020/01/13 初芝居見て来て曠著いまだ脱がず

 今日は2020年1月13日、月曜日、成人の日の休日です。旧暦で、12月19日、乙(キノト;木の弟)、七赤、赤口です。今日で三連休も終わりです。あしたからはまさに政治も経済も、護憲も反原発も正念場を迎えます。性根を据えて小説も頑張ります。

 この2カ月の勉強で学びました。安倍首相は、新年度予算を通過させて、幼児教育無償化を引っ提げて、すぐにも解散を行い、オリンピックを乗り切り、野党の参議院議員を大臣にしてやるといってとりこんで、両院での3分の2を確保して、改憲発議を成功させ、そのうえ自分が4選したうえで、国民投票と彼岸の憲法改正を実現するという考えなのがよくわかりました。

 

 今日の子規歳時は、「初芝居見て来て曠著いまだ脱がず」(明治33年)の句です。

 子規は松山にいたころ、寿座へよく芝居見物に行ったようです。この句はその頃の初芝居を観たことの思い出を句にしたものです。もちろんこの句の季語は、初芝居です。

 ここで、

 はつ‐しばい【初芝居】‥
①俳優が初めて芝居を演ずること。初舞台。
②年の初めにする歌舞伎などの興行。季・新年

 

 今日の魯迅箴言は、箴言361です。

 我总以为倘要论文,

    最好比是顾及全篇,

    并且顾及作者的全人,

    以及他所处的社会状态,

    这才较为确凿。

    要不然,

    是很容易近乎说梦的。

 私はいつもそうおもっているのだが、文を論ずる場合には、

 全文を見るのが何よりで、

 その上に作者の全人格、

 ないしは彼が生活した社会状態に考えを及ぼさなければ、

 その正確を期し難い。

 そうしないと、

 夢の話のようなものになってしまう恐れがある。