魯迅箴言日記 2020/03/19 我病んで花の句も無き句帖かな

 今日は3月19日、木曜日です。今日は、県への事業報告日です。午後、3時に提出することにします。結局、提出したのは5時でした。でも、時間内にギリギリセーフでよかったです。まずはホッとしました。いろいろ、直されることでしょう。それでも苦労した甲斐がありました。

 

 今日の子規歳時は、「我病んで花の句も無き句帖かな」(明治35年)です。子規は「墨汁一滴」で、「僅かに残る一つの楽と一つの自由、即ち飲食の楽と執筆の自由なり。しかも局部の疼痛劇しくして執筆の自由は殆ど奪われ、腸胃漸く衰弱して飲食の楽亦過半を奪われぬ。アア何を楽に残る月日を送るべきか。」と書いています。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言130の62です。

 (原文)

  群众,

  ――尤其是中国的,

  ――永远是戏剧的看客。

 (発音拼音)

  Qúnzhòng,

  ――yóuqí shì zhōngguó de,

  ――yǒngyuǎn shì xìjù de kànkè.

 (日本語訳)

  群衆、

  ――とくに中国の群衆は、

  ――永遠に芝居の見物客なのです。