魯迅箴言日記 2020/03/20  たれこめて已に三月二十日かな

 今日は3月20日、金曜日、春分の日です。今日は朝から日課をやり、日程管理をしているところです。4月16日に東京へ行くことになりました。22日は高レベル廃棄物拒否の県民条例制定の会議、23日は県のアースレンジャーの辞令交付式と研修会です。3月が過ぎると、新しい気持ちで頑張ります。明日のGEAの総会が終わると、あとは申告だけです。精神的にも、17日の議案発送と19日の県への委託の報告が済んでほっとしました。この達成感がなんともいえません。

 

 今日の子規歳時は、「たれこめて已に三月二十日かな」(明治28年)です。子規は明治28年の秋から腰の痛みになやんでいますが、その前の帰省中の句です。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言130の64です。

 (原文)

  中国的人们,

     遇见带有会使自己不安的朕兆的人物,

     向来就用两样法;

     将他压下去,或者将他捧起来。

 (発音・拼音)

  Zhōngguó de rénmen,

  yùjiàn dài yǒu huì shǐ zìjǐ bù'ān dì zhènzhào de rénwù,

  xiànglái jiù yòng liǎngyàng fǎ;

  jiāng tā yā xiàqù, huòzhě jiāng tā pěng qǐlái.

 (日本語訳)

  中国の人々は、

  自分を不安にさせる兆しのある人物に出会うと、

  これまで二つの方法を用いてきた。

  相手を抑えつけるか、ないしは相手を祀り上げるか。