魯迅箴言日記 2020/05/04 若竹や髪刈たしむる庭の椅子

 今日は5月4日、月曜日、みどりの日です。今日も部屋で、机にむかっています。らじるらじるでNHKラジオを聴き、プラス1でテレビをかけながら日課をやり、広辞苑で調べ物をしながらゆったりと過ごしています。朝食と10時のコーヒーブレイク、昼食に3時のコーヒーブレイクです。そのあと、古川の事務所に自転車で出かけ、小説を書いて、かえりに自分の食べたいものをフジワラから買って帰り、夕食を食べます。三食を輝代さんに作ってもらい、10時と3時に珈琲を淹れてもらい、三食をいっしょに食べる幸せを感じています。子や孫からの連絡がないのが少し寂しいですが。

 4月26日詩人の泉谷明さんが亡くなりました。路上派を名のる詩人で、何回か会ったことがあります。シンガーソングライター三上寛の恩師です。弘前の家に遊びに来いと何度か誘われました。駅に着いたら電話しろとも言ってくれました。百沢の温泉に一緒に入った時、黒づくめの衣服の中、パンツだけが白かったので、「詩人なら、パンツも黒にすべき」と言ったら、笑って「へんなことを言う男だな」とはにかんだのが忘れられません。泉谷さんは、「ヒトのいうことなんか気にしないで、自分のスタイルで書きなさい」といつも励ましてくれました

 

 今日の子規歳時は、「若竹や髪刈らしむる庭の椅子(明治34年)です。この日(5月4日)子規は、「墨汁一滴」に「しひて筆を取りて」(10首)を載せています。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言130の108「幻滅するのは、」です。

 (原文); 

   幻灭之来,

   多不在假中见真,

   而在真中见假。

 (拼音);

  Huànmiè zhī lái,

  duō bùzài jiǎ zhōng jiàn zhēn,

  ér zài zhēnzhōng jiàn jiǎ.

 (訳文);

  幻滅するのは、多くの場合、

  仮(にせもの)のなかに真(ほんもの)を見たときではなく、

  真のなかに仮を見たときである。