魯迅箴言日記 2020/05/28 喀血のやむ頃庭の葵哉

 今日は5月28日、木曜日です。今日は、核燃いらない市民の会の例会です。今日のテーマは、鹿内県議の議会報告です。午前4時まで川柳の選句をして、9時半に起きて、昼食をはさんで、日課やら、1階の自分の部屋の机と2階の書斎を整理したりしているうちに3時になってしまいました。

 

 今日の子規歳時は、「喀血のやむ頃庭の葵哉」(明治33年)です。子規は明治33年5月26日に入院し、28日には危篤に陥ったようです。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言365日の2日目「穏やかな暮らしから、困窮の暮らしへ堕ちた者なら、」です。

 (原文)

  有谁从小康人家而坠入困顿的么,

     我以为在这途路中,

     大概可以看见世人的真面目。

 (拼音)

  Yǒu shéi cóng xiǎokāng rénjiā ér zhuì rù kùndùn de me,

  wǒ yǐwéi zài zhè tú lù zhōng,

  dàgài kěyǐ kànjiàn shìrén de zhēnmiànmù.

 (訳文)

  穏やかな暮らしから、困窮の暮らしへ堕ちた者なら、

  その過程のなかで、私は思う、

  大概は、世間のひとの真面目(本当の貌)を見るだろう、と。