魯迅箴言日記 2020/06/01 淀川の大三日月や時鳥

 今日は6月1日、月曜日です。今日は3時に起きて、「魯迅と私」の原稿を書き、5時に鶴亀温泉へ行き、稲葉さんと火曜日に軽トラを借りる打ち合わせをし、6時に少し横になりました。8時に起き、北狄391号のファイル原稿を斉藤さんに送り、そのあと11時までに県民エナジーへ月例報告書をだしました。そのあと、11時半に家を出て、鰺ヶ沢町へ行きました。12時40分に一時間弱でつきました。役場での協議は3時50分まで続きました。5時に家に着き、古川1の事務所へ行き、郵便物を受け取り、そのあととり平に寄って返りました。とり平は込んでいました。カウンターに6人、小上がりに2人の客がいました。7時10分にいつもの500円払い、ダイソーに寄って、老眼鏡とコピー紙を買って帰りました。7時半に夕食、9時に机に向いましたが、30分もたたないうち眠くなり、蒲団を敷きました。5時の鶴亀温泉は疲れるみたいです。

 

 今日の子規歳時は、「淀川の大三日月や時鳥」(明治27年)です。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言365日の6日目「夢を見るときは自由だが、」です。

 (原文)

  做梦,

       是自由的,

       说梦,

       就不自由。

       做梦,

       是做真梦的,

       说梦,

       就难免说慌。

 (拼音)

  Zuòmèng,        

  shì zìyóu de,      

   shuō mèng,        

  jiù bù zìyóu.        

  Zuòmèng,      

  shì zuò zhēn mèng de,        

  shuō mèng,        

  jiù nánmiǎn shuō huāng.

 (訳文)

  夢をみるときは自由だが、

  それを口にするのは不自由だ。

  夢は真の夢をみるのだが、

  それを口にすれば、

  どうしても、嘘になる。