今日は6月1日、月曜日です。今日は3時に起きて、「魯迅と私」の原稿を書き、5時に鶴亀温泉へ行き、稲葉さんと火曜日に軽トラを借りる打ち合わせをし、6時に少し横になりました。8時に起き、北狄391号のファイル原稿を斉藤さんに送り、そのあと11時までに県民エナジーへ月例報告書をだしました。そのあと、11時半に家を出て、鰺ヶ沢町へ行きました。12時40分に一時間弱でつきました。役場での協議は3時50分まで続きました。5時に家に着き、古川1の事務所へ行き、郵便物を受け取り、そのあととり平に寄って返りました。とり平は込んでいました。カウンターに6人、小上がりに2人の客がいました。7時10分にいつもの500円払い、ダイソーに寄って、老眼鏡とコピー紙を買って帰りました。7時半に夕食、9時に机に向いましたが、30分もたたないうち眠くなり、蒲団を敷きました。5時の鶴亀温泉は疲れるみたいです。
今日の子規歳時は、「淀川の大三日月や時鳥」(明治27年)です。
今日の魯迅箴言は、箴言365日の6日目「夢を見るときは自由だが、」です。
(原文)
做梦,
是自由的,
说梦,
就不自由。
做梦,
是做真梦的,
说梦,
就难免说慌。
(拼音)
Zuòmèng,
shì zìyóu de,
shuō mèng,
jiù bù zìyóu.
Zuòmèng,
shì zuò zhēn mèng de,
shuō mèng,
jiù nánmiǎn shuō huāng.
(訳文)
夢をみるときは自由だが、
それを口にするのは不自由だ。
夢は真の夢をみるのだが、
それを口にすれば、
どうしても、嘘になる。