魯迅箴言日記 2020/11/12 お宮まで行かで帰りぬ酉の市

 今日は11月12日、木曜日です。今日は、県・市民税のGEA収益事業の今年度廃止届を出し、夕方は文ノ楽の合評会です。あとは、日課と青柳さんの「縄文ルネサンス」の初校の入力作業をします。昨夜は、水曜会と憲法を守る会の役員会に遅れて出て、その後、工藤さんと一緒に、ポーに行き、そのあと、工藤さんと別れ、とり平に寄って、帰りました。

 

 今日の子規歳時は、「お宮まで行かで帰りぬ酉の市」(明治32年)です。

 

 今日の日本国憲法は、憲法前文です。

 前 文

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために,諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言365日の第160日目「何事でも徹底することはいいことだが、」です。

 原文;

 凡事彻底是好的,而”透底”就不见得高明。因为连续的向左转,结果碰见了向右转的朋友,那时候彼此点头会意,脸上会要自由的人,忽然要辣辣的。要自由的人,忽然要保障复辟的自由,或者屠杀大众的自由,--透底是透底的了,却连自由的本身也漏掉了,原来只剩得一个无底洞。

 拼音;

 Fánshì chèdǐ shì hǎo de, ér” tòudǐ” jiù bùjiàn dé gāomíng. Yīnwèi liánxù de xiàng zuǒ zhuǎn, jiéguǒ pèngjiànle xiàng yòu zhuǎn de péngyǒu, nà shíhòu bǐcǐ diǎntóu huìyì, liǎn shàng huì yào zìyóu de rén, hūrán yào là là de. Yào zìyóu de rén, hūrán yào bǎozhàng fùbì de zìyóu, huòzhě túshā dàzhòng de zìyóu,--tòudǐ shì tòudǐ dele, què lián zìyóu de běnshēn yě lòu diàole, yuánlái zhǐ shèng dé yīgè wúdǐdòng.

 訳文;

 何事でも徹底するのはいいが、「透底」となると必らずしも感心はできない。なぜなら連続的に左に廻っていると、ついに右へ廻っていた人と鉢合わせしてしまうからだ。そうすると、互いにうなづき合い、悟り合って、苦い顔をせねばならないからだ。自由を求める人が、急に復辟の自由や、あるいは大衆を屠殺する自由の保障を求める‐―透底は透底したものだが、自由の本体までが抜け落ちてしまって、そこにあるものは、ただ一つの底なしの洞穴しか残されていないことになる。