魯迅箴言日記 2020/11/22 炉開や故人を会すふき膾

 今日は11月22日、いい夫婦の日です。今日は午前中、仙台の現代社会民主主義研究会のテレビ会議です。12時過ぎに終わり、生協へ輝代さんと行き、一週間分の食料を帰って来てから、昼食に焼きそばを食べました。昼食後の1時半から6時半まで、日課をやりました。あとは夕食を食べ、ニュースと日本シリーズを観てから10時に眠りました。実は、昨夜、とり平から戻り、書斎で小説を書き始め、眠ったのは今朝の5時前だったのです。その合間に、書斎のプリンターも直りましたし、気分良く、初期化しなおして、新しい方のパソコンに広辞苑第7版をインストールしたりしました。8時半に起きたせいで、とても眠かったのです。

 

 今日の子規歳時は、「炉開や故人を会すふき膾(なます)」(明治31年)です。

 

 今日の日本国憲法は、憲法第10条です。

 第10条〔国民の要件〕

日本国民たる要件は、法律でこれを定める。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言365日の第170日目「空談のたぐいは、」です。

 原文;

 空谈之类,是谈不久,也谈不出什么来的,它终必被事实的镜子照出原形,拖出尾巴而去。

 拼音;

    Kōngtán zhī lèi, shì tán bùjiǔ, yě tán bù chū shénme lái de, tā zhōng bì bèi shìshí de jìngzi zhào chū yuánxíng, tuō chū wěibā ér qù.

 訳文;

 

 空談のたぐいの話は、長くは続かないし、やがて何もいえなくなり、真実が鏡に写しだされ、尻尾を巻いて逃げてゆくのだ。