魯迅箴言日記 2021/01/17 歌かるた女ばかりの夜は更けぬ(明治32年、1899年)

 今日は1月17日、日曜日です。車はぬかるし、三内の家の玄関ポーチは雪の重みで倒壊するし、で散々です。それに、15日の深酒の影響で、昨日は一日、最悪の状態で、今日もまだ体調はすぐれませんが、それでも少しずつ良くはなっています。今日は、朝食も昼食のラーメンもなんとか食べることができました。昨日から酒を断って、体調と体重管理に気をつけるつもりです。水口君にも、野村さんにも連絡がつかないので、どうしようもない状態です。ただ、道路にはみ出している屋根を取り除かなくてはなりません。頭の痛いこと限りです。

 今日の子規歳時は、「歌かるた女ばかりの夜は更けぬ(明治32年、1899年)」です。

 今日の日本国憲法は、憲法第57条と第17条です。

 第57条〔会議の公開、会議録の公表、表決の記載〕

(1)両議院の会議は、公開とする。但し、出席議員の3分の2以上の多数で議決したときは、秘密会を開くことができる。

(2)両議院は、各々その会議の記録を保存し、秘密会の記録の中で特に秘密を要すると認められるもの以外は、これを公表し、且つ一般に頒布しなければならない。

(3)出席議員の5分の1以上の要求があれば、各議員の表決は、これを会議録に記載しなければならない。

 第17条〔国及び公共団体の賠償責任〕

何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。

 

 今日の魯迅箴言は、箴言365日の第227日目「何れの国、何れの人を問わず、」です。 

原文;

 无论何国何人,大都承认”爱已”是一件应当的事。这便是保存生命的要义,也就是继续生命的根基,以为将来的运命,早在现在决定,故父母的缺点,便是子孙灭亡的伏线,生命的危机。

 拼音;

 Wúlùn hé guó hérén, dàdū chéngrèn ài yǐ shì yī jiàn yīngdāng de shì. Zhè biàn shì bǎocún shēngmìng de yāo yì, yě jiùshì jìxù shēngmìng de gēnjī, yǐwéi jiānglái de yùn mìng, zǎo zài xiànzài juédìng, gù fùmǔ de quēdiǎn, biàn shì zǐsūn mièwáng de fúxiàn, shēngmìng de wéijī.

 訳文;

 何れの国、何れの人を問わず、大概皆な「己を愛する」のは当然のことであると認めている。これは生命を保存する要素であり、また生命を持続する根底でもある。将来の運動は、現在においてすでに、決定するのであるから、父母の欠陥は、ただちに子孫滅亡の伏線であり、生命の危機なのである。