魯迅箴言日記 2022/06/14 夏羽織われをはなれて飛ばんとす(明治28年、1895年)

 今日は6月14日、火曜日です。午前11時、北狄399号の小説「下北半島核景色」90枚を脱稿しました。メールで送り、夕方初稿がとどきました。399号は130頁を超えることになりました。どうにか面目は立ちます。あとはなかみです。自信はありませんが25日の発行日にむけて最後の努力をします。

 今日の子規歳時は、「夏羽織われをはなれて飛ばんとす(明治28年、1895年)」です。

 夏羽織;夏に着用する一重の羽織。紗しゃ・絽ろ・透綾すきやなどを用いる。夏

 今日の魯迅箴言は、箴言130-47「我々の知識には限りがあるから、」です。

 我闷的

知识很有限,谁都愿意听听名人的指点,

但这时就来了一个問题;

听博识家的话好,还是听专门家的话好呢?

解答似乎很容易;都好。自然都好;

但我由历所听了两家的种种指点以后,

却觉得必须有相当的警戒。

因为是;博识家的话多浅,专门家的话多悖的。

我々の知識には限りがあるから、誰しも名の知れた人の教えに耳を傾ける。

しかし、ここに一つの問題が生じる――

博識家と専門家、どちらの話を聞くのがよいのか?

答えは簡単そうにみえる――どちらもよい。

むろんどちらもよいのだが、

わたしは双方からいくつかの教えを聞いた経験から、

それ相応の心構えが必要だと思う。

なぜなら、博識家の話は底の浅いことが多く、

専門家の話は独りよがりが多いからだ。