魯迅箴言日記 2023/01/04 福引のわれ大いなる物を得たり(明治30年、1897年)

 今日は1月4日、水曜日、御用始めです。今日は朝一便で次男が東京へ戻るため、6時半に輝代さんと一緒に見送りに行きました。次男は8月から新しい訓練が始まるので、その準備も含め4月からは1年半ほど帰れないと言って、手を振って手荷物検査場を通ってゲートに入っていきました。

 8時に帰宅し、県民エナジーの資料を送り、北狄401号の残りの発送をするつもりです。午後は御用始めに出て、かえって年賀状を今日こそつくります。時間があれば床屋にも行くつもりです。

 今日の子規歳時は、「福引のわれ大いなる物を得たり(明治30年、1897年)」です。

 正月の福引の景品で「大いなる物を得たり」と得意げの様子がうかがえます。旧歳時句は、「新宅に掛くる釘なし初暦」でした。

 今日の魯迅箴言は、130-91「もし私に、青年はいかなる目標に向かうべきか、無理にも問うのなら、」です。

 倘若一定要问我青年应当向怎样的目标,

    那么,我只可以说出我为别人设计的话,

    就是,一要生存,二要温饱,三要发展,………

    我之所谓生存,并不是苟话;

    所谓温饱,并不是奢侈,

    所谓发展,也不是放纵。

 もし私に、青年はいかなる目標に向かうべきか、と無理にも問うのなら、

 私は、他の人のために考えた言葉を言うほかないでしょう。

 ――すなわち、一に生存、二に衣食、三に発展。………

 私の言う生存とは、けっしてその場限りに活きることではなく、

 いわゆる衣食とは、奢侈ではなく、

 いわゆる発展とは、放縦ではありません。