魯迅箴言日記 2023/05/17 もりあげてやまいうれしきいちご哉(明治28年、1895年)

 今日は5月17日、昨夜は新報配布の疲れもあって、9時半に眠り、今朝は4時半に起きました。7時半まで、洗面と髭剃り、日程調整に時間をとられ、日課に入れないまま、入浴、朝食をすませると、8時半に生協購入票をもって、アウガに行きました。ポイント付与はできませんでしたが、マイナンバーカードの再交付と保険証のひもづけに2時間もかかりました。マイナーポイントの付与はさらに時間がかかるとのことで次回にのばしました。駐車場を間違えて、地下の市場でマグロと筋子を買う羽目になりました。2時半から4時半まで2時間、日朝の会議があり、青柳事務所に寄って、帰宅したのは5時でした。6時半からGEAの事務局会議があり、帰宅できたのは8時半でした。

 今日の子規歳時は、「もりあげてやまいうれしきいちご哉(明治28年、1895年)」です。

 子規は明治28年5月、日清戦争の従軍記者として渡満し、帰国の船中で喀血し、神戸病院へ運ばれています。そのとき、弟子の虚子と碧梧桐は看病をし、毎日のようにいちごを続けたという。

 今日の魯迅箴言は、箴言365-28「自分は人から虐げられるが、」です。

 自己被人凌虐,

    但也可以凌虐别人,

    自己被人吃,

    但也可以吃别人。

    一级一级的制驭着,

    不能动弹,

    也不想动弹了。

 自分は人から虐げられるが、

 別の人を虐げることもできる。

 自分は人に食われるが、

 別の人を食うこともできる。

 一級一級と順に下の階級を制御しており、

 身動きもできないし、身動きしようとも思わなくなっているのだ。