魯迅箴言日記 2023/08/18 摂待の施主や仏屋善右衛門(明治33年、1900年)

 今日は8月18日、金曜日です。今朝は7時に起きました。中村哲さんの映画の当日券申込者のリストを作成し、9月議会の質問項目リストを作成しました。10時に家をでてレクチャーに臨む。11時45分に社民党を出て、青森空港へ長男の嫁と三人の孫を迎えに行く。1時に家に着き、1時50分にアウガへ、中村哲さんの映画上映会に向かう。3時上映、4時半終了。4時半から5時15分までアウガで勉強。日課を少しやる。5時20分にアウガを出て、新青森駅に長男を迎えに行く、南口に降りて来ず、益にはいなかった。6時半に石岡真史桂夫妻も来て、9人ではま寿司へ。家で8時から9時半まで歓談。

 今日の子規歳時は、「摂待の施主や仏屋善右衛門(明治33年、1900年)」です。ここで、摂待は秋の季語です。寺の門前や往来に清水または湯茶を出し、通りがかりの修行僧に振る舞うことを摂待という。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-40「火が人を焼き殺せるように、水も人を溺死させるが、」です。

 火能烧死人,水也能淹死人,

    但水的模样柔和,好像容易亲近,

    因而也容易上当;……

 火が人を焼き殺せるように、水も人を溺死させるが、

 しかし、水は柔和で近寄りやすく見えるため、

 うっかりすると騙される……