魯迅箴言日記 2023/09/30 稲舟や野菊の渚蓼の岸(明治27年、1894年)

 今日は9月30日、土曜日です。今日の原告団の総会で、事務局員に再任されました。こころ豊かに頑張ります。夕方、県川柳連盟の弘前大会の前夜祭です。川柳へのデビュウです。余裕、心豊かに、深刻にならずに、ユーモアとシニックを心がけます。

 今日の子規歳時は、「稲舟や野菊の渚蓼の岸(明治27年、1894年)」です。

 この句は、季重なり、三段切れ、の句です。刈り取った稲を積み上げた稲舟は、野菊の渚を過ぎ、蓼の岸をめざして、ゆっくりと下っていくとう句である。

 今日の魯迅箴言は、箴言130-56「科学は中国文化の不足を補うに足らぬばかりか、」です。

 科学不但并不足以 补中国文化之不足,

   却更加证明了中国文化之高深。

   风水,是合于地理学的,门阀,是合于优生学的,

   炼丹,是合于化学的,放风筝,是合于卫生学的。

   「灵乩」的合于「科学」,亦不过其一而已。

 科学は中国文化の不足を補うに足らぬばかりか、

 中国文化が高く深いことをさらに証明してくれる。

 風水は地理学に、門閥優生学に、煉丹は化学に、

 凧揚げは衛生学にぴったり合う。

 「神のお告げ」が「科学」に合致するのも、またその一つにすぎない。