今日は2013年12月16日です

 12月13日は県立保健大学の渡邉教授の出版記念パーティーだった。悪天候の中33人全員が集まった。当日、キャンセルなしであった。この日、全員と言葉を交わした。鹿内市長、古村県議、海老名・橋本市議、美濃さん、諏訪さん、成田先生、三国谷君、工藤さん、宝田さん、良原さん、山内先生、小山内さん、木村さん、中山さん、社協関係、社会福祉関係者、渡邉先生の教え子、等々です。半分以上が初めて会う人達だったが、渡邉教授の教え子は32歳から22歳までの若者であった。彼等、彼女等はみな物静かで、知的であったのが今日の日本のおかれた状況の中で一筋の光明のようでもあり、救いのような気もした。
 14日は盛岡から佐藤仁君が来て、小山内、山口、武田、斎藤君と高校同期の6人で忘年会だった。山口君とは30年ぶりくらいで飲んだ。高校のとき音痴だったと誤解していたが、いまは歌手より巧い。佐藤君は来年春もういちど心臓の手術をするという。術後、回復したら皆で大沢温泉へ行くことを約束したな。
 15日はNPO「ういむい未来の里CSO」の設立記念行事が県立保健大学で行われた。私は13日に続いてこの日も自ら進んで司会をやらせてもらった。諏訪さんを新城まで迎えに行き、浜館の大学まで、最初は有谷昭男さんから「無為と自然のままに」と題して講演してもらった。次が、52歳で死んだ異才の日本画家中村正義の生涯(足跡)をたぞるドキュメンタリー映画「父をめぐる旅」の上映であった。映画で中村正義がほんとうに天才だと気づいた。
 当日、悪天候によりキャンセルした人が数人いたが、結局、45人の参加だった。渡邉教授のゼミの学生は日曜日のせいか、ひとりもいなかった。それでも、「ういむい」に参加した人が10数人になった。小山内理事長、原田副理事長、わたしが名ばかりの事務局長だった。13日につづいて、小山内、渡邉、山内、成田、諏訪、三国谷、橋本さんたちが顔をそろえ、佐藤、早瀬、藤川、棟方、斎藤さんらであった。もうひとり蟹田の佐藤さんもいた。
 今日16日は、昼に予算委員会の傍聴。仲谷議員が2015年の棟方志功没後40年と寺山修司生誕80年の記念事業について市長のちょっぴり前向きな答弁を引き出した。とくに、寺山修司の「マッチ擦る・・・」の歌碑をつくることはうまくいけば実現できそうだ。委員会の休憩で、島田議員と三四郎クラブのこと、神山議員と家族のこと、赤木議員と来年のこと(もちろん否定)、立ち話や内緒話を交わした。
 19日は歴史社会問題研究会の忘年会で中華料理。10人集まるのだろうか。どんなに挑発されようとじっと我慢の日が続く。その日がくるまで、アヒルの水かきに徹するのだ。そのため、18日と19日はノンアルで我慢。金澤先生と美濃さんを送ろう。飲んで墓穴を掘りたくはない。
 明日は山内さんと公立大へ福士さんに会いに行く。20日は市長会へ小山内さんと小山内君のところへ挨拶に行く。18日は遙の同窓会・忘年会を千成寿司へ。西崎夫婦含め15人が集まる。千成の女将さんへ人数報告、古川の阿保生花へ花束注文。わらっせ入会後、初入場。来年の12月末まで何回いけるか楽しみ。
 21日は長島小学校6年7組の会、侍へ6人参加予定と電話。山口、早瀬、柿崎、須藤、戸島と私の6人は集まるだろう。昨夜、葉書を西局へ出したので、今日は届いているはずだ。良夫君はくるんだろうか。女性軍はどうか。
 22日は川柳研究会「陽の会」の忘年会。楽しくやるためにこの日と27日の浪岡の望年会だけは飲もう。
 1月7日上京。8日から12日までNY。13日夜帰宅。14日、月曜会。この日から2014年、活動開始。
 1月17日は北狄の合評会。22日は水曜会。この日、新年の決意を表明したい。何かが始まるかもしれない。