人、人生、家族、生きる、社会、そして世界

 350号の合評会で小野允雄さんに、「君はこの作品で何を書きたかったのかい」と言われ、咄嗟に答えられなかった。あれから僕は、ずうっとそのことを考えている。僕はいったい、「北のまほろば銀行」で何を訴えたかったのだろうか、と。
 僕は、確たる意図をもって、「北のまほろば銀行」を書いたわけではなかった。書きたいこと、書かねばならないことを書いているわけではなく、ただ何となく人から聞いた話を自分なりに創作して書いただけだった。僕は私小説しか書けないので、何とか脱皮したいと考え、等身大でない人物のことを書こうとしただけだった。30枚にまとめて、どうにか書けたと思っている。
 ただ、いつも思っているのは、人はなぜ生きるのか、ということだ。こんな世の中、そんなにうまくいっている人はいない筈だ。それでも、みんな、こころに大きな傷や悩みをかかえながら懸命に生き続けている。それは、何故か、僕は知りたいと思う。
 人間とは何か、人生とは何か、はかり知れない奥深い謎だ。こんなに生きづらいのに、弱さをかかえた人間が、どうして家族で助け合わないのか。いや、助け合おうとし、助け合えない哀しさをどうすることもできずに、ただひたすら生き続けているのは、なぜなのだろうか。それは、僕は愛だと思っている。
 人は、人間は、愛があるから生きられるのだ。愛したいし、愛されたいから生きるのだ。愛があるからこそ生き延びている人間が、家族や社会、それに世界のひろがりのなかで、時空を超えて翻弄され続けながら、難局に直面してもそれを体を張ってこらえ、精神の極限まで追求せざるを得ない性(さが)というものの実体を僕は書きたいと思っている。
 しかし、いまの僕にはそこまでの技量はまだない。生涯無理なのかもしれない。でも、道はきまった。小野さんと服部進先生に、心から感謝しています。