床屋に行く

1月2日に古村さんから電話があった。加藤昌彦さんの母親が元旦の昼に入院中の病院で亡くなったという。三内の家の鍵を持って喜多村拓が翁屋のお菓子を土産にやってきた。彼は風邪とかで、私にうつしてはならじと、玄関先で半身になって、中に入ろうとしない。私から中国の悪い菌を培養しないようにしているようでもあった。それにしても、むくんで病気持ちみたいである。「少し、痩せたのじゃない」と彼一流のジョークで、彼が用意準備した三内の家に一日も入居しなかった前奥様とその子夫婦のことを簡単にそのいきさつを話して帰って行った。私の三内の襤褸家のせいで、彼が奥様と離婚したとすれば、私にも責任の一端がある。そんなことを考えながら、娘夫婦が婚家先の新潟へ行くのを見送りに新青森駅に行った帰りに三内の家に寄ってみることにした。築47年の襤褸家は年輪通りにくすんだ廃紫色の壁は剥げ落ちそうであった。中に入ろうとしたが、鍵があかない。5個の鍵を何度試しても開かないのだ。あきらめて、家に戻り、加藤家の葬儀に列席する関係で、草焼きの前に醜く伸びた後ろ髪を切ろうと床屋に行くことにした。
近所の少し姻戚関係のある床屋に行くと、今月の休みは3日、10日、17日とある。それで2日は休みではないと判断し、ドアを開けようとしたが鍵がかかっている。張り紙で御用の方はチャイムを鳴らしてと書いてある。そこで、チャイムを鳴らすと、床屋の奥様が出て、3日まで休みという。「それなら、3日まで休みと書いてほしい」と思いながら、口には出さす、そのまま引き下がった。
夜に床屋から電話があり、あす3日の朝9時に店を開けるから来いという。これには、家人と三男坊が「非常識だ」「傲慢だ」とやいのやいのと非難轟々で、3日の予約を断れという。結局、私の散発は今日となった。頭髪はこの4カ月で一層抜け、さらに白髪となっている。いっそのこと、長男と三男と同じく、坊主刈りにしたいと家人にいうと、やめてくれとこれまたそっけない。
一日遅れで床屋へ9時に行ったが、先客が二人もいた。結局、無い髪をまた短くし、とても哀しい思いを胸に床屋をあとにし、浪岡の葬式の式場に向かったのである。