5月26日、ラムネ屋も此頃出来て別荘地

 今日は5月26日、日曜日である。毎日、好い天気が続いている。前夜、三男が泊まってくれた。私は大会があるため、朝8時半に家を出た。大会が終わる5時までに変えると約束して、その間、三男が妻に付き添ってくれることになった。
 大会を終えて、午後4時半に帰宅すると、午後になって血尿の色が赤くなって、三度目の救命センター通いとなったことが三男から報じられた。悪い予感が走った。三男は夕食の後、月曜日の仕事があるからとアパートへ戻った。
 明日は朝8時に家を出て、県病に向かう。私も妻も眠れなかった。結婚して、44年この間、我が家では90歳で亡くなった母を除いて、病気で入院するなどと一度もなかった。妻も中学の時、盲腸を手術して3日入院しただけだという。昨年、7月に血尿が出て、この10カ月ほぼ二週間に一度の割で通院しながらも、「何ともない」を繰り返し、大病院への紹介状を書いて、診断を求めることをしなかった掛かりつけの町医者が恨めしい。
 今日の子規歳時は、明治35年の句で、子規庵を出ることができなくなった子規が晩年に詠んだ句です。子規がいまだ見たことがないものをいかに見たかったのか、ラムネに象徴されている。
 今日の魯迅箴言は、箴言132です。
 天才并不是
  自生自长在深林荒野里的怪物,
  是由可以使天才生长的民众产生,
  长育出来的,
  所以没有这种民众,
  就没有天才。
 天才は深い森林や荒野に自生して育つ生き物ではけっしてなく、
 天才を生み育てることのできる民衆によって、
 産み出され、育てられるものです。
 でありますから、そのような民衆なくしては、
 天才もまた存在しないのです。