国家歴史博物館と魯迅博物館

 昨日は、朝きっかり9時に隺さんと尹君がホテルまで迎えに来ました。
 私は、朝飯は抜いて、すぐにまず、国家歴史博物館に向かうことにしました。地下鉄の駅では歩いて、一つですが、ホテルが一号線の王府井駅と天安門東駅の中間にあるため、歩いていくことにしました。
 朝の風はとても冷たく頬をなでました。帽子を目深に被り、ジャケットのフードも被って、手には皮手袋もはめました。
 天安門の赤茶色の高い壁にそって20分もゆっくり歩きました。すでにホテル前の南河沿大街でバスやタクシーを降りた観光客がガイドの小旗のあとに従って、天安門広場前を目指して歩いています。
 私たちの目指す国家歴史博物館は天安門前広場に面し、人民大会堂に向かい合って建っています。9時18分に入館しましたが、料金は無料でした。
 厳重なボディチェックの後、中に入りましたが、教え子の二人は歴史に興味はあまりない様で、近代のコーナーから進みました。慎重末期から辛亥革命、抗日戦争、建国の歴史はなまなましく展示されていました。目を背けたくなるような箇所もありました。日本人にとってはつらく、反省を強要されるような展示でもありました。日本や列強から侵略される背景には、中国の事情もあったのではないか。それも歴史としてしっかり見れるようにしておかないといけない気もしました。侵略から抗日、そして建国の道筋についてはしっかり展示されていました。これでは、中国の若い人たちがみれば、日本は悪者に感ずるのは当然です。教え子の二人とも、初めて博物館に入ったと言っていました。
 近代の歴史を見ただけで、10時半過ぎになっていましたので、急いで西周時代から東周・春秋時代の展示をみたいと思いましたので、今回は孔子魯迅を訪ねる旅でもありましたから何としても、孔子をどう扱っているのか探しました。
 春秋時代のコーナーには孔子に対する記述はわずかで、世界最強の人類の教師に対する現在の中国政府の位置づけが感じられました。孔子儒教の思想こそ、現在の中国人に不足する公衆道徳を確立する上で必要だと思うのですが、尹君が言うように「14億人を統治するのに精一杯」でそこまで手が回らないというのが現状なのでしょう。
 孔子論語の写教本も見ましたし、孔子幼年時代に勉強したとされる竹簡もみつけることができました。
 近世の明や唐、清の時代のコーナーに行く前に、12時になってしまい、昼食を食べに王府井までもどることになりました。隺さんは、疲れたといって、博物館の後半は木製のベンチに座っていました。
 王府井のデパートの地階の食堂街で牛肉入り南州麺を食べました。とてもうまかったです。食後、疲れて体調が悪いといって、隺さんは戻りました。
 私と尹君は王府井駅から地下鉄1号線に乗り、復光門駅で2号線に乗り換え、一つ目の駅の阜成門駅で降りました。去年見覚えのある駅でした。駅から3分ほどで、北京魯迅博物館がありました。ここも無料でした。魯迅の旧居をみて、博物館の展示を見ました。生まれてから亡くなるまで魯迅の足跡を追い、すべてが展示されていました。魯迅は字のきれいな人だったことがわかりました。毛筆で書いていました。
 私たちはまた地下鉄にのり王府井駅までもどって、また食堂街の田野という店で豆腐と牛肉たたきを魚にビールを4本飲みました。最後に温豆乳をのんで終わりにしました。
 6時前にホテル前で尹君と別れました。交通費4元と昼食代10元と最後のビールとつまみ代で25元をおごってもらいました。そんなわけで、25日は一元も使わなくてすみました。
 今日は、私がはらうことにします。