今日は2012年青森ペンクラブの新年会である。私は、新春発行のペンクラブ会誌に「3月11日からの私」ということで6枚くらいのエッセーを書いた。そして、会報の会員消息の担当もどうにかこなすことができた。約束破りと無神経でわがままな私としては珍しいことだ。小説、脚本、詩、エッセー、短歌、俳句、川柳などの他に絵画、音楽、演劇、舞踏などの芸術の愛好家が青森にはけっこういる。しかし、ペンクラブに入っている人はそんなに多くはない。
現在も活躍している人で入っていない人、それに入っていたけれど何らかの理由で退会した人もいる。私も経済的な理由からいえば当然に入れない。それでも留まっているのは、好い仲間がいるからだ。文学に関しては全くと言っていいほど門外漢だった私に小説を書く喜びを教えてくれたのは、ペンクラブの先輩たちだった。皆、駄作・愚作を書き続ける私を叱咤激励してくれた。
無職のいま、とても作家だと言えるはずもないが、毎日、作家の生活に近い毎日を送っている。原稿料はもらえないが、逆に原稿料を払って同人誌に作品を掲載してもらっている。それでも、三田文学にとりあげられて、ほんのちょっぴりでもほめられると、飛び上がらんばかりに喜んでいる。
自分の作品は候補にあがったりはしないが、これでも私は芥川賞と直木賞の推薦する多数の地方推薦人のひとりなのだ。そう思って、自分を鼓舞し、女房に文句を言われながらも、書き続けているのだ。
ここで、最近勉強している論語から一つ。
「子曰く、学んで時にこれを習う、亦説ばしからずや。朋有り遠方より来る、亦楽しからずや。人知らずして愠みず、亦君子ならずや。」
これは論語の最初に出てくる章である。
これを中野孝次はつぎのように訳している。
孔子さまが言った、「学んで、あとでまた復讐する、何とも心躍ることではないか。朋がいて遠い所から訪ねてくる、これまた楽しいことではないか。人が自分のことを認めなくても腹を立てない、いかにも君子ではないか。」と。
つまり、人に認められないことより、自分の力不足を患えよ、というのだ。
他にも、孔子は、他人の評価に一喜一憂することは愚かなことだ、とも言っている。
私は孔子は実にいいことを言っているな、と最近特に思っている。