今日は12月26日金曜日、御用納めの日です。

 今日は12月26日、金曜日であり、官公庁は御用納めの日です。わたしは今日はこれから二カ所に挨拶へ行く予定ですが、あいにくの大雪で迷っています。
 
81 无论忤逆,无论孝顺,小孩子多不愿意作,听故事也不喜欢是谣言。这是凡有稍稍留心儿童心理的都知道的。
 (不孝者でも、不孝者でも、子どもはほとんど「詐(うそ)」を嫌い、物語を聴いても、根も葉もない話は喜ばない。これは、子どもの心にそっと耳を傾ける者ならば、およそ知っていることである。)
82 小的时候,不把他当人,大了以后,也做不了人。
 (幼いときに人として扱われなければ、大人になっても人として生きられない。)
83 驯良之类并不是恶德,但发展开去,对一切事无不驯良,却决不是美德,也许简直倒是没出息。
 (従順なのは、悪徳ではない。しかし、それが嵩じて何にでも従順なのはけっして美徳ではなく、いわば単に意気地がないだけだ。)
84 野牛成为家牛,野猪成为猪,狼成为狗,野性是消失了,但只足使牧人喜欢,于本身并无好处。人不过是人,不再来杂着别的东西,当然再好没有了。倘不得己,我以为还不如带些兽性,如果合于下列的算式倒是不很有趣的;人家畜性某一种人
 (野牛は家畜牛に、猪は豚に、狼は犬になって野生は失われた。だが、それは牧人を喜ばせたにすぎず、動物自身にはなんのいいこともなかった。人は人にすぎず、混ざりけなしでいられるに越したことはない。しかし、それが叶わぬなら、いくらかの獣性を帯びるほうがまだましだと思う。次のような算式にあてはまるようでは、興醒めである。人+家畜性=ある種の人間 )
85 叫人整年悲愤,劳作的英雄们,一定是自己毫不知道悲愤,劳作的人物。在实际上,悲愤者和劳作者,是时时需要休息和高兴的。
 (年がら年中、人に悲憤と労働を強いる英雄たちは、みずからはきっと、悲しみ憤ることも、働くことも、露知らぬ人間だろう。現実にあっては、悲しみ憤り、働く者たちは、つねに休息と喜びを必要とするのだ。)
86 儿童的行为,出于天性,也因环境而改变,所以孔融会让梨。打起来的,是家庭的影响,便是成人,不也有争家私,夺遗产
(児童のやることは天性のものだが、環境によっても改まる。だから、孔融は梨を譲ることができたのだ。喧嘩するのは家庭の影響である。大人は身代金を争い、遺産を奪い合うではないか?子どもはそれを学んだのである。)
87 只要思想未遭锢蔽的人,谁也喜欢子女比自己更强,更健康,更聪明高尚,――更幸福;就是超越了自己,超越了过去。
 (思考が縛られていない人は誰しも、わが子が自分よりもさらに強く、健康で、聡明・高尚に――さらに幸福になることを喜ぶ。すなわち、自分を超え、過去を乗り超えていくことを。)
88 至于幼稚,尤其没有什么可羞,正如孩子对老人,毫没有什么可羞一样。幼稚是会生长,会成熟的,只不要衰老,腐败,就好。
 (幼稚は、なんら恥じることがないのと同じです。幼稚なら、成長し、成熟していくことができます。ただ、老いぼれ腐敗しなければ、それでいいのです。)
89 孩子长大,倘无才能,可寻点小事情过话,万不可做空头文学家或美术家。
 (子どもが成長しても才能がないようなれ、小さな仕事を探して活きるとよい。万が一にも、中身のない文学者や美術家になってはならない。)
90 希望是本无所谓有,无所谓无的。这正如地上的路;其实地上本没有路,走的人多了,也便成了路。
 (希望は、もともとあるものとも、ないとも言えない。それはまさに地上の路のようなものだ。本来、地上に路はなく、歩く人が増えれば、そこが路になるのである。)