1月23日、金曜日三上会長の葬式です

 今日は1月23日、金曜日です。午後1時から三上強二さんの葬式、法事です。夜には月曜会もあります。今日も一日、温・良・恭・儉・譲の気持を忘れずに行動していきたいと思います。それにつけても、後に生まれた者の宿命ですが、私に文学とりわけ小説の道を教え導いていただいた三代の青森ペンクラブ会長、すなわち秋元良治、服部進、そして三上強二さんのお骨をひろわさせていただきました。わたしはいまこそ三人の師の教えをまもっていきたいと思います。
 
 今日の子規歳時は、
 
 冬の夜やいり物くふて詩会あり (1897年、明治30年1月23日)
 
 ここで、子規の少年時代に、漢詩を作って楽しむ親しい友人たちが、夜に集まって詩会を開いていたそうです。詩会の晩は、米や大豆をいったオイリ(お‐いり【御煎】
乾飯(ホシイイ)を煎って砂糖醤油食品)をかじりながら詩作をするのが例であったということです。
 
 今日の魯迅箴言は、中国人の特徴、性情についてです。中国人の気質の特徴は、妥協と折衷だと魯迅はいいます。また、中国の群衆は、永遠に芝居の見物客だとも。また、中国人は自分を不安にさせる兆しのある人物に出会うと、これまで二つの方法で対処してきたと。つまり、相手を抑えつけるか、あるいは相手を祭り上げるかだと。中国人は昔から尊大なところがあり、それは個人的な尊大さではなく、集団的・愛国的な尊大さなのだという。中国人は、勝ちそうだと見れば、われ先に集まるが、負けそうだと見ると、ちりちりに逃げていくということも。
 
 
61 中国人的性情是总喜欢调和,折中的。譬如你说,这屋子太暗,须在这里开一个窗,大家一定不允许的。但如果你主张拆掉屋顶,他们就会来调和,愿意开窗了。
Zhōngguó rén dì xìngqíng shì zǒng xǐhuān tiáohé, zhé zhōng de. Pìrú nǐ shuō, zhè wūzi tài àn, xū zài zhèlǐ kāi yīgè chuāng, dàjiā yì dìng bù yǔnxǔ de. Dàn rúguǒ nǐ zhǔzhāng chāi diào wūdǐng, tāmen jiù huì lái tiáohé, yuànyì kāi chuāngle.
(中国人の気質は、例外なしに妥協と折衷を好みます。もしあなたが、この部屋はとても暗いから窓を作ろう、と言ったとしても、だれもそれを許さないだろう。だが、いっそ屋根をぶち壊そうと言い張ったなら、彼らはすぐに妥協して、窓を作る気になることでしょう。)
 
62 群众,――尤其是中国的,――永远是戏剧的看客。
Qúnzhòng,――yóuqí shì zhōngguó de,――yǒngyuǎn shì xìjù de kànkè.
(群衆、――とくに中国の群衆は、――永遠に芝居の見物客なのです。)
 
63 中国的人们,遇见带有会使自己不安的朕兆的人物,向来就用两样法;将他压下去,或者将他捧起来。
Zhōngguó de rénmen, yùjiàn dài yǒu huì shǐ zìjǐ bù'ān dì zhènzhào de rénwù, xiànglái jiù yòng liǎngyàng fǎ; jiāng tā yā xiàqù, huòzhě jiāng tā pěng qǐlái.
(中国の人々は、自分を不安にさせる兆しのある人物に出会うと、これまで二つの方法を用いてきた。相手を抑えつけるか、ないしは相手を祭り上げるか。)
 
64 中国人向来有点自大。――只可惜没有个人的自大,都是合群的爱国的自大
Zhōngguó rén xiànglái yǒudiǎn zì dà.――Zhǐ kěxí méiyǒu `gèrén de zì dà', dōu shì `héqún de àiguó de zì dà'.
(中国人には、昔から尊大なところがある。――ただ惜しむらくは、そこに「個人の尊大」ではなく、すべて「集団的・愛国的な尊大」なのだ。)
 
65 中国一向就少失败的英雄,少有韧性的反抗,少有敢单身鏖战的武人,少有敢扶哭叛徒的吊客;见胜兆则纷纷聚集,见败则纷纷逃亡。
Zhōngguó yīxiàng jiù shǎo shībài de yīngxióng, shǎo yǒu rènxìng de fǎnkàng, shǎo yǒu gǎn dānshēn áozhàn de wǔrén, shǎo yǒu gǎn fú kū pàntú de diào kè; jiàn shèng zhào zé fēnfēn jùjí, jiàn bài zé fēnfēn táowáng.
(中国には一貫して、失敗した英雄が少なく、強靭な反抗が少なく、あえて単身で斬り込む武人が少なく、反逆者を哭いて悼む弔問者が少なかった。勝ちそうだと見れば、われ先に集まるが、負けそうだと見れば、散り散りに逃げていく。)