1月22日、三上会長のお通夜です。

 今日は1月22日、三上強二青森ペンクラブ会長の通夜の日です。いろいろ教えていただいた師の骨は白く、軽く、もろくありました。さて、未津さんと金澤先生はどんな弔詞をよまれるのでしょうか。
 
 今日の子規歳時は、1月21日と22日分です。
 
 いくたびも雪の深さを尋ねけり (1896年、明治29年1月21日)
 
 雪が降っていると聞いて子規は首をもたげたそうです。「雪ふるよ障子の穴をみてあれば」、そして「障子明けよ上野の雪を一目見ん」、しかし、疲れてまた枕に伏したそうです。「雪の家に寝ていると思う許りにて」とあります。
 
 寒声は宝生流の謡かな (1897年、明治30年1月22日)
 
 子規の叔父藤野漸(古白の父)は素人として下掛宝生流の名手であり、虚子の長兄池内政忠らも、同流の先生であったため、虚子・碧梧桐ら子規周辺の人たちはみな宝生流で、後年漱石も同流の門に入ったのでした。