時雨庵で温泉につかる

  今日は日中、休みをとって湯段温泉の時雨庵に行ってきました。9時半に友人たちと大鰐インターの駐車場で落ち合い、私の車で雪の壁のアップルロードを岩木神社をさらに昇り、嶽温泉を左折して、女将がひとりで営んでいる小さな温泉宿の時雨庵についたのは10時半でした。
 時雨庵に向かう途中、山内さんからの電話が入り、昨年4月に退任して青森を離れた渡邉先生が南部町へ講演で来県し、夜に青森で歓迎会をする予定でしたが、先生がインフルエンザに罹り昨夜から熱が出たため、急遽、新幹線で帰路についたとのことで歓迎会を延期するとの連絡が入りました。時雨庵にゆっくりできることになりました。平賀と大鰐の友人とは、二カ月か三カ月に一度、時雨庵で昼食をはさみ、温泉につかり、互いの近況報告とそれぞれの人生のこれまでの断片を思い出し語り合っているのです。
 百沢から嶽までの岩木山麓道は幅広くきれいに除雪され、道の両側に雪の回廊ができていましたが、車両の通行に何ら支障がありませんでした。昨年の反省がこうした除排雪になって表れているのだと思いました。今年の雪がとくにきれいに感じたのは不思議でした。
 10時半から4時半に時雨庵を後にするまで、珈琲と緑茶を飲み、ミカンとバナナをつまみ、昼には松花堂弁当を完食し、前後に二度も温泉にゆっくりつかって、穏やかに語り合って満足ができました。
 
 

 さて、今日の子規歳時は、

 襟巻に顔包みたる車上かな (1897年、明治30年1月29日)

 ここで、日刊新聞「日本」記者時代の子規は、始終ふところ手で、その懐中に古書やら反古紙やらを詰め込み、埃じみた紫色の毛糸の襟巻をかけていたようです。子規の襟巻のかけようが不思議な掛け方で、首に密着せずに両の肩にくねらしていたと佐藤紅緑が思い出として語っています。

 今日の魯迅箴言は、

91 倘若一定要问我青年应当向怎样的目标,那么,我只可以说出我为别人设计的话,就是;一要生存,二要温饱,三要发展。…… 我之所谓生存,并不是苟活;所谓温饱,并不是奢侈;所谓发展,也不是放纵。

Tǎngruòyīdìng yào wèn wǒ qīngnián yīngdāng xiàng zěnyàng de mùbiāo, nàme, wǒ zhǐ kěyǐshuō chū wǒ wèi biérén shèjì dehuà, jiùshì; yī yào shēngcún, èr yào wēnbǎo, sānyào fāzhǎn.…… Wǒ zhī suǒwèi shēngcún, bìng bùshì gǒuhuó; suǒwèi wēnbǎo, bìngbùshì shēchǐ; suǒwèi fāzhǎn, yě bùshì fàngzòng.

 (もし私に、青年はいかなる目標に向かうべきか、と無理にも問うのなら、私は、他の人のために考えた言葉を言うほかないでしょう。――すなわち、一に生存、二に衣食、三に発展。…… 私の言ういわゆる生存とは、けっしてその場限りに活きることではなく、いわゆる衣食とは、奢侈ではなく、いわゆる発展とは、放縦ではありません。)
 
92  我也曾有如现在的青年一样,向己死和未死的导师们问过应走的路。他们都说;不可向东,或西,或南,或北。我终于发见他们心底里的蕴蓄了;不过是一个不走而己。

Wǒyě céng yǒurú xiànzài de qīngnián yīyàng, xiàng jǐ sǐ hé wèi sǐ de dǎoshīmenwènguò yīng zǒu de lù. Tāmen dōu shuō; bùkě xiàng dōng, huò xī, huò nán, huòběi. Wǒ zhōngyú fā jiàn tāmen xīndǐ lǐ de yùnxùle; bùguò shì yīgè `bù zǒu'érjǐ.

 (私もかつては、今の青年たちと同様に、すでに亡くなった、あるいはまだ亡くなっていない指導者たちに、歩むべく道を訊ねたものだ。彼らはみなこう言った。東、あるいは西、あるいは南、あるいは北に向かってはならない、と。しかし東、あるいは西、あるいは南、あるいは北に向かうべきだ、とも言わなかった。私はようやく、彼らの腹の底にある蘊蓄を発見した。それはただ、「行くな」ということだった。)
 
93 纵令不过一洼浅水,也可以学学大海;横竖都是水,可以相通。

Zònglìngbùguò yī wā qiǎnshuǐ, yě kěyǐ xué xué dàhǎi; héngshù dōu shì shuǐ, kěyǐxiāngtōng.

 (たとえ浅い水たまりにすぎずとも、大海を学ぶことはできる。いずれにせよ、どちらも水だから、あい通じるはずだ。)
 
94 青年又何须寻那挂着金字招牌的导师呢? 不如寻朋友,联合起来,同向着似乎可以生存的方向走。你们所多的是生力,遇见深林,可以辟成平地的,遇见旷野,可以栽种树木的,遇见沙漠,可以开掘井泉的。

Qīngnián yòu héxū xún nà guàzhe jīnzì zhāopái de dǎoshī ne? Bùrúxún péngyǒu, liánhé qǐlái, tóng xiàngzhe sìhū kěyǐ shēngcún de fāngxiàng zǒu.Nǐmen suǒ duō de shì shēng lì, yùjiàn shēnlín, kěyǐ pì chéng píngdì de, yùjiànkuàngyě, kěyǐ zāizhòng shùmù de, yùjiàn shāmò, kěyǐ kāijué jǐng quán de.

 (青年が、金文字の看板を首にかけた指導者を探す必要など、どこにあろうか? 朋友を探して団結し、生きていけそうな方向へと共に歩み出すほうがいい。君たちは活きる力に溢れていて、森林に遭遇すれば平地を切り開き、荒野に遭遇すれば樹木を植え、砂漠に遭遇すれば井戸を掘ることができるのだ。)
 

95 第一次吃螃蟹的人是很可佩服的,不是勇士谁去吃它呢?螃蟹有人吃,蜘蛛一定也有人吃过,不过不好吃,所以后人不吃了。像这种人我们当极端感谢的。

Dì yī cì chī pángxiè de rén shì hěn kě pèifú de, bùshì yǒngshìshuí qù chī tā ne? Pángxiè yǒurén chī, zhīzhū yīdìng yěyǒu rén chīguò, bùguò buhào chī, suǒyǐ hòu rén bù chīle. Xiàng zhè zhǒng rén wǒmen dāng jíduān gǎnxiède.

 (初めて蟹を食べた人には、まったく感服します。勇者でなくて誰が、そんなものをあえて食べるでしょうか? 蟹を食べた人がいれば、蜘蛛を試した人もいたはずです。しかし不味かったために、後の人は食べなかった。このような人たちに、私たちは大いに感謝すべきでありましょう。)