詩集「この花」

 今日は3月12日、木曜日です。今朝まで寒波は続き、まだ吹雪いています。

 今日の子規歳時は、

 春の山重なりあうて皆丸し (1896年、明治28年3月12日)

 明治30年3月、「この花」という詩集がでました。子規の鹿笛、父の墓、ほか数篇が載りました。落合直文、佐々木信綱、武島羽衣、大町桂月与謝野鉄幹らが名を連ね、新体詩人としても認められています。

 今日の魯迅箴言は、箴言8です。

 
8 斗争呢,我倒以的。人被迫了,什么不斗争?

Dòuzhēngne, wǒ dào yǐwéi shì duì de. Rén bèi yāpòle, wèishéme bù dòuzhēng?

(闘争はむしろ正しいと思います。抑圧されて、どうして戦わないのですか?)


 魯迅は革命家でも、政治家でもありません。大江健三郎がいうように東洋が生んだ19世紀・20世紀の文学の巨星です。むしろ世界の巨星といってもいいでしょう。その魯迅がこの箴言でいっているのは、人間は何のために戦うのか、闘うのかという根源的な課題をつきつけているのです。抑圧されて、生存や生活の基盤を奪われようとしているのに闘わない、戦わないのは死んでいるのと同じだといっているのです。東日本大震災福島第一原発事故によって亡くなられた人、被災した人たちは抑圧された人々ではないのでしょうか。亡くなられた人や、今なお行方不明の人たちの家族は抑圧された人ではないでしょうか。
 そして、原発事故の放射能汚染によって被曝し、土地を追われ、避難をつづけている人たちは抑圧された人々ではないのでしょうか。
 4年前の大震災と原発事故によって生み出されたたくさんの抑圧された人々こそ立ち上がって大闘争を展開すべきなのではないでしょうか。政府や東電に対し、戦いを挑むべきだと魯迅はきっというと思います。