今日は朝出がけに雨


 今日は5月12日、火曜日です。昨日は、朝に時雨庵に行き、湯段の時期外れの水芭蕉をみて、岩木さんの猛々しい姿に圧倒されました。福原さんと友彦さんの三人で温泉につかり、昼は女将さんの山菜料理に舌鼓をうちました。幸せな一日でした。
 4時半に時雨庵を出て、5時40分に家に着き、自転車に乗り換えて、大竹事務所へ向かいました。小さいほうのプレハブの事務所で勝手連(金澤会長・今村事務長)の事務所開きでした。米内山さんの姿も見えました。
 その夜、事務所開きが終わった後、本体の大きなプレハブに移り、久しぶりに古村さんと事務所の椅子を並べて眠ることになってしまいました。35年前を思い出していたのでした。
 さすがに腰が痛くなって我慢できず朝6時に起き、自転車で家に戻りました。9時まで眠って、10時に家を出て新町の事務所へ向かいましたが、左衛門橋を渡ったところで小雨が降ってきて、古中横から浪館通りに出たあたりでは、雨はパラパラになっていました。家に戻るわけにもいかず、そのまま新町の事務所へ寄って、書類だけバッグに詰めて、本町の大竹事務所へ向かいました。
 大竹の事務所で、GEAのニュースレターの残りの原稿を書き終えたあたりで雨は本降りになっていました。、政策宣伝カーの看板の設置と街宣車の運行計画などについて、巴子さん、今村さんと協議している間に、時間は12時半になっていましたので、アウガの川柳教室に傘をさして自転車に乗ったのでした。
 3時に新町事務所に戻り、ニュースレターを共有ファイルへ保存し、プリントアウトしたものを工藤さんに渡しました。そのあと、谷川俊太郎後援会の名義後援の申請書の下書きの作業を行い、一応下書きが完成したのは5時をだいぶ回っていました。プレハブのカギをかけに、本町の事務所へもどりました。相変わらず、雨は降り続いていました。本体のスタッフ会議とかで、それにも加わって、それから家に戻った時には、7時半でした。

 今日の子規歳時は、
 昼の月風は若葉の上にあり (1898年、明治31年5月12日)
 歯痛のため思うように物が食べられなくなった子規は、「人間は何が故に生きて居らざるべからざるか」という問題にまで考え至っていました。「菅の根の永き一日を飯もくはず知る人も来ずくらしかねつも」。

 今日の魯迅箴言は、箴言69です。
 任凭你爱排场的学者们怎铺张,
  修史时候设些什么
  「汉族发祥时代」
 「汉族发达时代」
 「汉族中兴时代」的好题目,
  好意诚然是可感的,但措辞太绕弯子了。
  有更其直捷了当的说法在这里――
 一,想做奴隶而不得的时代;
  二,暂时做稳了奴隶的时代。
  Rènpíng nǐ ài páichǎng de xuézhěmen zěn pūzhāng,
 xiūshǐ shíhòu shè xiē shénme
 `hànzú fāxiáng shídài'
 `hànzú fādá shídài'
 `hànzú zhōngxìng shídài'de hǎo tímù,
 hǎoyì chéngrán shì kě gǎn de, dàn cuòcí tài ràowānzile.
 Yǒu gèng qí zhí jiéliǎo dāng de shuōfǎ zài zhèlǐ――
 yī, xiǎng zuò núlì ér bùdé de shídài;
 èr, zhànshí zuò wěnle núlì de shídài.
「見栄っ張りの学者たちは、いかにもったいぶろうかと、歴史編纂にあたって、『漢族発祥の時代』、『漢族発達の時代』、『漢族中興の時代』などと、ご立派な題目をならべたてる。好意はありがたいが、言葉づかいがあまりに回りくどい。ここにずばり、」的をつく言葉がある―― 一、奴隷になりたくともなれなかった時代、二、しばらくは奴隷に安んじられた時代。」

 今日の論語は、論語6-21(巻第三 雍也第六 21章)です。
 子曰、中人以上、可以語上也、中人以下、不可以語上也、
 Zǐ yuē, zhōng rén yǐshàng, kěyǐ yǔ shàng yě, zhōng rén yǐxià, bù kěyǐ yǔ shàng yě,
「子曰わく、中人以上には、以て上を語ぐべきなり。中人以下には、以て上を語ぐべからざるなり。」(子曰,中人以上,可以语上也,中人以下,不可以语上也,)