6月30日、いよいよ6月最後の日となりました。

 6月も最後の日となりました。昨日、新聞に川柳を投句しました。毎月2句ですが、半日かけても好い句はできません。ほとほと才能と感性の欠如にあきれます。土曜日の句会でも3点しか入りませんでした。情けないかぎりです。
 昨日の夕方、北狄の371号が届きました。「青葉繁るころ」(28枚)を掲載してもらうことができました。今回は仙台時代のことを中心に書きました。淡々と書いたつもりですが、16日の合評会では批判が集中することでしょう。
 魯迅は創作は難しいといっていますが、まさにそのとおりです。でも書いているときが一番楽しいのですから、それもまたよしとしなければなりません。

 今日の子規歳時は、
 薫風や千山の緑寺一つ (1900年、明治33年6月30日)
 はじめて絵具を使って画いた「秋海棠」の写生から菓物帖・草花帖など、子規の作品はおよそ百点、うち彩色画は五十余点でした。寺田寅彦は、かつて、文展の全作品よりも子規のスミ絵一枚を採るといったそうです。

 今日の魯迅箴言は、箴言118です。
 创作难,
 就是给人起一个称号或诨名也不易。
 假使有谁能起颠扑不破的诨名的罢,
 那么,他如作评论,一定也是严正确的批评家,
 倘弄创作,一定也是深刻博大的作者。
   Chuàngzuò nàn,
 jiùshì jǐ rén qǐ yīgè chēnghào huò hùn míng yě bùyì.
 Jiǎshǐ yǒu shuí néng qǐ diānpūbùpò dì hùn míng de bà,
 nàme, tā rú zuò pínglùn, yīdìng yěshì yán zhèngquè de pīpíng jiā,
 tǎng nòng chuàngzuò, yīdìng yěshì shēnkè bódà de zuòzhě。
「創作は難しいものである。人に称号や渾名をつけるのでさえ容易くない。たとえば誰か、ぐうの音も出ないような渾名をつけることのできる人がいるとしたら、彼が評論すれば、必ず厳しく的確な批評家となるだろうし、なお創作を手がければ、必ず豊かで味わい深い作者になるであろう。」
 創作;创作 chuangzuo 称号;称号 chenghao 渾名;诨名 hunming 
  評論;评论 pinglun 厳粛;严肃 yansu 正確;正确 zhengque 
  批評家;批评家 pipingjia 深刻;深刻 shenke 豊富;博大 boda 
  作者;作者 zuozhe

 今日の論語は、論語8-3(巻第四 泰伯第八篇 3章)です。
 會子有疾、召門弟子曰、啓予足、詩云、戦戦兢兢、如臨深淵、如履薄冰、而今而後、吾知免夫、小子、
 Huì zi yǒu jí, zhào mén dìzǐ yuē, qǐ yǔ zú, shī yún, zhàn zhàn jīng jīng,
 rú lín shēnyuān, rúlǚbóbīng, érjīn érhòu, wú zhī miǎn fū, xiǎozi,
「會子、疾あり。門弟子を召びて曰わく、予が足を啓け、予が手を啓け。詩に言う、戦戦兢兢として、深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如しと。而今よりして後、吾れ免るることを知るかな、小子」(曾子が病気にかかったとき、門人たちをよんでいった。「わが足を見よ、わが手を見よ。詩経には『おそれつ戒めつ、深き淵にのぞむごと、薄き氷をふむがごと。』とあるが、これからさきはわたしもその心配がないねえ、君たち。」と。)(会子有疾,召门弟子曰,启予足,诗云,战战兢兢,如临深渊,如履薄冰,而今而后,吾知免夫,小子