7月7日、七夕です。今日は久須志神社の宵宮でもあります。

 7月7日となりました。昨日から、11日の中国帰国子女を対象とする日本語教室の準備を始めました。全部、中国語でも説明できるように、中国語の勉強も兼ねてやりはじめました。漱石も「カーライル博物館」を読んでいますが、19世紀のイギリスの文化芸術文学についてつきることのない想像の世界がひろがっています。また、「倫敦塔」についても再読しながら、あらためてイギリス王室の歴史をエンクロアで調べてみるとこ、れがまた結構楽しいのです。16日の北狄の合評会が終わるまで、新しい小説には着手しないつもりですが、どんどん着想は書斎の空間をとびかっています。
 ギリシャも大変ですが、日本もアベノ不況が庶民の暮らしを直撃しています。それが自殺や放火や、いろんな事件として現出しているように思えます。日本もそうですが、アメリカも大変なようです。そんななか、長男のところのNY生活も厳しくなっているような知らせが飛び込んできました。あちらもまた、田舎にいればよくわかりませんが、競争社会ゆえの困難があるようで、仕事を成功させるのはなかなか難しいようです。
 私はといえば、女房と二人の低所得の年金生活ですが、病気や災害がないかぎり、いまがいちばん好い生活をしているようにも思います。年収2百万円には、それなりにふさわしい生活をしていけばいいのですから。誰にもこびることも、おもねることもなく、ひたすら清貧をつらぬきさえすればいいのですから、論語の本も出している中野幸次の清貧のすすめがいまさらのように実感しています。

 さて、今日の子規歳時は、
 山風や桶浅く心太動く (1897年、明治30年7月7日)
 子規の三度目の帰省は、明治22年(1889年)7月で専ら療養につとめたようです。この時は、東海道線が開通し、神戸まで汽車に乗ったのですが、三津松山間は前年10月伊予線が開通していたのに、人力車に乗ったようです。この年の冬、四度目の帰省をしています。

 今日の魯迅箴言は、箴言125です。あと6日でこの130篇の箴言集も終わりです。早いものですね。7月13日からは、365篇の新箴言集にとりかかることにします。いまから、楽しみです。
 假使世界上真有天才,
 那么,漫骂的批评,于他是有损的,
 能骂退他的作品,使他不成其为作家。
 然而所谓漫骂的批评,于庸才是有益的,
 能保持其为作家,不过据说是吓退了他的作品。
 Jiǎshǐ shìjiè shàng zhēnyǒu tiāncái,
 nàme, mànmà de pīpíng, yú tā shì yǒu sǔn de,
 néng mà tuì tā de zuòpǐn, shǐ tā bùchéng qí wèi zuòjiā.
 Rán'ér suǒwèi mànmà de pīpíng, yú yōngcái shì yǒuyì de,
 néng bǎochí qí wèi zuòjiā, bùguò jùshuō shì xià tuìle tā de zuòpǐn.
「もしも、この世界に真に天才がいるとしたら、悪罵の批評は、彼にとっては不利であり、その作品をしりぞけさせ、作家になることを阻むだろう。だが、いわゆる悪罵の批評は、凡才にとっては有益で、彼に作家の面目を保たせる。悪罵のせいで作品ができなかった、というわけだ。」
 もし、ならば;假使 jiashi 世界;世界 shijie 真に;真 zhen 天才;天才 tiancai 
  悪罵;漫骂 manma 批評; 批评 piping  不利;有损 yousun  作品;作品 zuopin  
  作家;作家 zuojia 凡才;庸才 yongcai 有益;有益 youyi 
  面目を保つ;保持其为 baochiqiwei というわけだ;据说 jushuo 
  退避する;吓退 xiatui

 今日の論語は、論語8-10(論語巻第四 泰伯第八篇 10章)です。
 子曰、好勇疾貧、亂也、人而不仁、疾之已甚、亂也、
 Zǐ yuē, hào yǒng jí pín, luàn yě, rén ér bùrén, jí zhī yǐ shèn, luàn yě,
「子曰わく、勇を好みて貧しきを疾むは、乱なり。人にして不仁なる、これを疾むこと已甚だしきは、乱なり。」(孔子がいわれた、「武勇を好んで貧乏を嫌うとなると、無理に貧乏から抜け出そうとして乱暴する。人が道にはずれているとそれをひどく嫌いすぎると、対立が厳しくなって乱暴するのだ。」と。)(子曰,好勇疾贫,乱也,人而不仁,疾之已甚,乱也,)