7月17日、金曜日、今日は文団遙の同窓会です

 7月17日、金曜日です。台風11号は日本に上陸しましたが、青森にはまだ影響がでていません。昨日は、午前中高校野球の応援に行き、午後は田代温泉の高畑さんの山荘で北狄の合評会でした。夕方から、ガーデンでバーベキューパーティとなり、総勢8人で愉しく一夜をすごしました。文学や北狄371号の作品評のほか、安保法制の衆院通過に関連して、政治と文学の話にまで及びました。合評会には三津さんと宰木さんも元気な姿をみせてくれました。文学賞に応募するよう励まされました。しかも、宴のあと、山荘の二階で秋村編集長と午前二時まで、主に秋村さんから、高校時代の様子から役人生活で体験したことなど、普段聞けない貴重な話をきかせてもらいました。とても勉強になりました。

 今日の子規歳時は、
 祇園会や二階に顔のうづ高き (1898年、明治31年7月17日)
 三津堀川にイケスという料亭があり、「潑々園」ともいったようです。子規は帰省中たびたびここに遊んだのでした。23年7月常磐会文学同行者の紅葉会を、24年夏には静渓先生を迎え同窓会を開いたのでした。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言5です。(箴言130の38に同じです)
 人们因为能忘却,
 所以自己能渐渐地脱离了受过的苦痛,
 也因为能忘却,
 所以往往照样地再犯前人的错误。
 Rénmen yīn wéi néng wàngquè,
 suǒyǐ zìjǐ néng jiànjiàn de tuōlíle shòuguò de kǔtòng,
 yě yīn wéi néng wàngquè,
 suǒyǐ wǎngwǎng zhàoyàng de zàifàn qián rén de cuòwù.
「人は忘れることができるから、
 受けた苦しみから次第に逃れられ、
 また忘れることができるがゆえに、
 あいも変わらず先人の過ちを型通りに繰り返すのです。」
 忘却;忘却 wangque 漸く;渐渐 jianjian 離脱;脱离 tuoli 苦痛;苦痛 kutong 
  先人;前人 qianren 錯誤;错误 cuowu 型通りに;照样地 zhaoyangdi 
  再犯;再犯 zaifan

 今日の論語は、論語8-19(論語巻第四 泰伯第八篇 19章)です。
 子曰、大哉、堯之爲君也、巍巍乎唯天爲大、唯堯則之、蕩蕩乎其民無名焉、巍巍乎其有成功也、煥乎其有文章、
 Zǐ yuē, dàzāi, yáozhī wèi jūn yě, wéiwéi hū wéi tiān wèi dà, wéi yáo zé zhī,
 dàngdàng hū qí mín wúmíng yān, wéiwéi hū qí yǒu chénggōng yě,
 huànhū qí yǒu wénzhāng,
「子曰わく、大なるかな、尭の君たるや。巍巍として唯だ天を大なりと為す。唯だ尭これに則る。蕩蕩として民能く名づくること無し。巍巍として其れ成功あり。煥として其れ文章あり。」
孔子がいわれた、「偉大なものだね、尭の君としてのありさまは。堂々としてただ天だけが偉大であるが、尭こそはそれを見ならわれた。のびのびとひろやかで人民にはいいあらわしようがない。堂々として立派な業績をうちたて、輝かしくも礼学制度を定められた。」と。)
(子曰,大哉,尧之为君也,巍巍乎唯天为大,唯尧则之,荡荡乎其民无民焉,巍巍乎其成功也,焕乎其有文章