9月8日、火曜日、今日は川柳教室の日です。

 今日は9月8日です。火曜日です。午前中は新町の事務所です。午後は川柳の教室、3時には新町の事務所へ戻り、9日からの出張の打ち合わせします。北狄372号の「おふくろの眼鏡」の校正もしなくてはなりません。仕事に失敗はつきものですが、ひとつひとつ丁寧に、最大限見落としを少なくしていかねばなりません。

 今日の子規歳時は、
 山もとのともし火動く夜寒哉 (1891年、明治24年9月8日)
 明治24年の初秋、子規は竹村黄塔・太田柴洲らと河之内(温泉郡川内村)の滝を見物に行っています。近藤家に泊って翌日滝を見物し、その夜再び近藤家に泊ったのでした。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言59です。
 我看中国有许多智识分子,
 嘴里用各种学说道理,
 来粉饰自己的行为,
  其实却只顾自己一个的便利和舒服,
  凡有被他遇见的,
 都用作生活的材料,一路吃过去,像白蚊一样,
 而遗留下来的,却只是一条糞。
 Wǒ kàn zhòng guó yǒu xǔduō zhì shí fèn zi,
  zuǐ lǐ yòng gè zhǒng xuéshuō dao lǐ,
  lái fěnshì zìjǐ de xíngwéi,
  qíshí què zhǐgù zìjǐ yīgè de biànlì hé shūfú,
  fán yǒu bèi tā yùjiàn de,
  dōu yòng zuò shēnghuó de cáiliào, yīlù chī guòqù, xiàng bái wén yīyàng,
  ér yíliú xiàlái de, què zhǐshì yītiáo fèn.
「私は、中国には口先で自己の学説を唱えるたくさんの知識分子がいるのを知っている。その実、彼らは自分だけに便利で快適なように言葉をかざるのである。およそ彼等に遭うと、生活の材料になるのなら、白い蚊のようなものでも、ちょっと行って食べて、そのあとには一筋の糞が残るようなものだ。」

 今日の論語一日一章は、論語10-20(論語巻第五 郷党第十篇 20章)です。
 寢不尸、居不容、
 Qǐn bù shī, jū bùróng,
(寝不尸,居不容,
「寝ぬるに尸(し)せず。居るに容(かたり)づくらず。」
「寝るときには死体のように(ぶざまに)ならず、ふだんのときには容儀(かたち)を作られなかった。」