5月30日、一銭の氷少き野茶屋哉

 今日は5月30日、今月もあと二日となりました。今年の東京六大学の春のリーグ戦で硬式野球準硬式野球でともに立教大学が優勝しました。長男は一年のとき硬式野球部に入り、二年から準硬式野球部に移った関係もあり、そして卒業のときは主将だっただけに喜びもひとしおのようです。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言60です。
 我也曾有如现在的青年一样,向已死和未死的导师们问过应走的路。他们都说;不可向东,或西,或南,或北。但不说应该向东,或西,或南,或北。我终于发见他们心底里的蕴蓄了;不过是一个”不走”而已。
  Wǒ yě céng yǒurú xiànzài de qīngnián yīyàng, xiàng yǐ sǐ hé wèi sǐ de dǎoshīmen wènguò yīng zǒu de lù. Tāmen dōu shuō; bùkě xiàng dōng, huò xī, huò nán, huò běi. Dàn bù shuō yīnggāi xiàng dōng, huò xī, huò nán, huò běi. Wǒ zhōngyú fā jiàn tāmen xīndǐ lǐ de yùnxùle; bùguò shì yīgè” bù zǒu” éryǐ.
 .私もかつては、いまの青年たちと同様に、すでに亡くなった、あるいはまだ亡くなっていない指導者たちに歩むべき道を訊ねたものだ。彼らは皆こう言った。東あるいは西、あるいは南に、あるいは北に向かってはならないと。しかし、東、あるいは西、あるいは南、あるいは北に向かうべきだ、とも言わなかった。私は漸く彼らのはらの底にある蘊蓄を発見した。それはただ、「行くな」ということだった。