12月18日、今日は長島小学校6年7組の山口君との忘年会

 12月18日、金曜日です。

 今日の子規歳時は、
 二つ三つ石ころげたる枯野哉 (1899年、明治32年12月18日)
 柳原極道が松山市内の古道具屋の店先で、古いガラスの風鈴につるした子規の短冊を見つけました。代価を聞くと一銭五厘、明治25のことでした。 

 今日の魯迅箴言365日は、箴言160です。
 凡事彻底是好的,而”透底”就不见得高明。因为连续的向左转,结果碰见了向右转的朋友,那时候彼此点头会意,脸上会要辣辣的。要自由的人,忽然要保障复辟的自由,或者屠杀大众的自由,――透底是透底的了,却连自由的本身也漏掉了,原来只剩得一个无底洞。
   Fánshì chèdǐ shì hǎo de, ér” tòudǐ” jiù bùjiàn dé gāomíng. Yīnwèi liánxù de
   xiàng zuǒ zhuǎn, jiéguǒ pèngjiànle xiàng yòu zhuǎn de péngyǒu, nà shíhòu
 bǐcǐ diǎntóu huìyì, liǎn shàng huì yào là là de. Yào zìyóu de rén, hūrán yào
 bǎozhàng fùbì de zìyóu, huòzhě túshā dàzhòng de zìyóu,――tòudǐ shì tòudǐ
 dele, què lián zìyóu de běnshēn yě lòu diàole, yuánlái zhǐ shèng dé yīgè wúdǐ
 dòng.
 「何事でも徹底することはいいことだが、『透底』となると必ずしも関心はできない。なぜなら連続的に左に回っていると、ついに右へ回った友人と鉢合わせしてしまう、そうすると互いにうなずき合い悟り合って、苦い顔をせねばならないからだ。自由を求める人が、急に復辟の自由や、あるいは大衆を屠殺する自由の保障を求める――透底は透底したものだが、自由の本体までが抜け落ちてしまって、そこにあるものはただ一つの底なしの洞穴しか残されていないことになる。」

 今日の論語一日一章は、論語14-15(論語巻第七 憲問第十四篇 15章)です。
 子曰、臧武仲以防求爲後於魯、雖曰不要君、吾不信也、
 Zǐ yuē, zāng wǔzhòng yǐ fáng qiú wèi hòu yú lǔ, suī yuē bùyào jūn, wú bùxìn yě,
 (子曰,臧武仲以防求为后於鲁,雖曰不要君,吾不信也,)
 「子曰わく、臧武仲、防を以て魯に後たらんことを求む。君を要せずと曰うと雖ども、吾れは信ぜざるなり。」
 (孔子がいわれた、「臧武仲は罪によって魯の国を追われたが、防に拠って後継ぎを立てたいと魯に要求した。主君にお願いしたのであって、強要したのではないといったところで、わたしは信用しない。」と。)