1月21日、いくたびも雪の深さを尋ねけり

 1月21日、東京へ行き、午前中は六本木、午後は中野、夕方は東京駅をあちこち歩きました。六本木一丁目のアーク八木ヒルズビルに日本国憲法起草地の碑が立っていました。新電力PPSのある会社のビルの一角で日本国憲法が連合国側と日本の外務省で練られていたわけです。世界的な建築家のフランツ・ゲーリー展も見ることができました。上野動物園へ行けなかったのが残念です。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言194です。
 由历史所指示,凡有改革,最初,总是觉悟的智识者的任务。但这些智识者,却必须有研究,能思索,有决断,而且有毅力。他也用权,却不是骗人,他利导,却并非迎合。他不信看轻自己,以为是大家的戏子,也不看轻别人,当作自己的楼梦。他只是大众中的一个人,我想,这才可以做大众的事业。
 Yóu lìshǐ suǒ zhǐshì, fán yǒu gǎigé, zuìchū, zǒng shì juéwù de zhì shí zhě de rènwù. Dàn zhèxiē zhì shí zhě, què bìxū yǒu yánjiū, néng sīsuǒ, yǒu juéduàn, érqiě yǒu yìlì. Tā yě yòng quán, què bùshì piàn rén, tā lìdǎo, què bìngfēi yínghé. Tā bùxìn kànqīng zìjǐ, yǐwéi shì dàjiā de xìzi, yě bù kànqīng biérén, dàng zuò zìjǐ de lóu mèng. Tā zhǐshì dàzhòng zhōng de yīgè rén, wǒ xiǎng, zhè cái kěyǐ zuò dàzhòng de shìyè.
 「歴史の示すところによれば、一切の改革は、最初はつねに覚醒した知識人の任務である。ただし、これらの知識人は研究をつみ、思索能力を具え、決断力にとみ、なおかつ勇気がなければならない。彼は権力も使用するが、騙したりはしない。利益でもって誘導はするが、決して迎合はしない。彼は自分を軽視して、人々の役者だと思うようなことはしないが、人を軽視して、自分の子分だとして扱うこともしない。彼は大衆のなかの一人にすぎない。それでこそ、大衆の事業ができるのだ、と私は思う。」

 今日の論語一日一章は、論語15-3(論語巻第八 衛霊公第十五篇 3章)です。
 子曰、賜也、女以予為多學而敷之者興、對曰然、非興、曰、非也、予一以貫之、
 Zǐ yuē, cì yě, nǚ yǐ yǔ wèi duō xué ér fū zhī zhě xìng, duì yuē rán, fēi xìng, yuē, fēi yě, yǔ yīyǐguànzhī,
 (子曰,赐也,女以予为多学而敷之者兴,对曰然,非兴,曰,非也,予一以贯之,)
 「子曰わく、賜や、女(なんじ)予(わ)れを以て多く学びてこれを識る者と為すか。対えて曰わく、然り、非なるか。曰わく、非なり。予れは一以てこれを貫く。」
 (孔子がいわれた、「賜よ、お前はわしのことをたくさん学んでそれぞれ覚えている人間だと思うか。」子貢はお答えして、「そうです。違いますか。」「違うよ。わしは一つのことでいらぬいているだけだ。」と。)