2月10日、春雨や配達叱る十時過

 2016年2月10日、水曜日です。今日は10時から自治労で会議、12時から街宣です。会議は順調に進み、新町の事務所で書類の整理と25日の会議の参加をFAXしているうちに12時からの街宣の時間になりました。サクラ野の前で戦争法廃止と9条改憲阻止のチラシを35枚配り終えたのは12時40分でした。成田先生と駅前の日本海で昼食をとりました。マグロ丼を食べました。840円でした。サクラ野の前で成田先生と別れ、新町事務所にもどり、8日の薪循環プロジェクトの学習会の報告を書き上げたのは5時40分でした。午前中の政審会議の報告書もでかし、送信しました。あとは12日に薪の関係で五所川原ヒアリングに行くことも決まりました。GEAの自然エネルギー・再エネと省エネ・エコライフにはまってきたようです。
 子規の「墨汁一滴」は明治34年1月から日本新聞に掲載されました。子規にとっては唯一の慰藉であり、生命でもあったようです。
 はる‐さめ【春雨】
①春降る雨。特に若芽の出る頃、静かに降る細い雨。?/font>季・春?/font>。万一七「赤裳の裾の―ににほひひづちて」
②うた沢・端唄の一。二上りで、最も流行した曲の一。
(中華料理に使う粉条(fentiao)を、その形状から名づけた) 緑豆(リヨクズ)澱粉から作った透明・線状の食品。ジャガイモ・サツマイモの澱粉からも作る。とうめん。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言214です。
 倘不深入民众的大层中,于他们的风俗习惯,加以研究,解剖,分别好坏,立存废的标准,而于存于废,都慎选施行的方法,则无论怎样的改革,都将为习惯的岩石所压碎,或者只在表面上浮游一些时。
 Tǎng bù shēnrù mínzhòng de dà céng zhōng, yú tāmen de fēngsú xíguàn, jiāyǐ yánjiū, jiěpōu, fēnbié hǎo huài, lì cún fèi de biāozhǔn, ér yú cún yú fèi, dōu shèn xuǎn shīxíng de fāngfǎ, zé wúlùn zěnyàng de gǎigé, dōu jiāng wèi xíguàn de yánshí suǒ yā suì, huòzhě zhǐ zài biǎomiàn shàng fúyóu yīxiē shí.
「民衆の広い層のなかに深く入って、彼らの風俗習慣を研究し、解剖し、良否を区別し、取捨の標準を立て、さらに採るにしろ捨てるにしろ、その施行方法を慎重に選ばなかったら、たとえどのような改革であろうと、すべて習慣という岩石に圧し砕かれるか、あるいはただ表面だけをしばらく浮遊するだけのことである。」

 今日の論語一日一章は、論語15-23(論語巻第八 衛霊公第十五篇 23章)です。
 子曰、君子不以言舉人、不以人廢言、
 Zǐ yuē, jūnzǐ bù yǐ yán jǔrén, bù yǐ rén fèi yán,
 (子曰,君子不以言举人,不以人废言,)
 「子曰わく、君子は言を以て人を挙げず、人を以て言を廃せず。」
 (孔子がいわれた、「君子はことばによって(立派なことをいったからといって)人を抜擢したりなどせず、また人によって(性格が悪いからなどといって)ことばをすてることはしない。」と。)