2月11日、旃檀のほろほろ落る二月哉

 今朝、8時前に電話があり、平内からでした。親戚のおばあさんが昨日亡くなったという知らせでした。親類の少ない我が家では、数少ない血縁なので、特段の思いがある人でした。娘が帰省中のこともあり、昼を川よしでうな丼を食べてから、新町で二人を降ろして、お悔やみに駆けつけました。13日火葬と通夜、14日が葬式・法事にも呼ばれました。西平内と浪館を往復することになりそうです。
 せんだん【栴檀
(梵語 candana  旃檀那。香木の名)
①ビャクダンの異称。
②センダン科の落葉高木。わが国を始めアジア各地の暖地海辺に自生、高さ約八メートル。葉は大形の羽状複葉。春、葉のつけ根に淡紫色の五弁花をつけ、楕円形の核果を結ぶ。果実は生薬の苦楝子(クレンシ)としてひび薬、樹皮は駆虫剤とし、材は建築・器具用材。古く獄門のさらし首の木に使われた。①とは全く別種。アミノキ。古名、おうち()
③「栴檀の板」の略。

 今日の魯迅箴言365日は、箴言215です。
 革命当然有破坏,然而更需要建设,破坏是痛快的,但建设却是麻烦的事。
  Gémìng dāngrán yǒu pòhuài, rán'ér gèng xūyào jiànshè, pòhuài shì tòngkuài de, dàn jiànshè què shì máfan de shì.
 「革命にはもちろん破壊がつきものだが、もっと必要なのは建設であり、破壊は痛快だが、建設こそはもっと面倒なことなのだ。」

 今日の論語一日一章は、論語15-24(論語巻第八 衛霊公第十五篇 24章)です。
 子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、子曰、其怨乎、己所不欲、勿施於人也、
 Zi gòng wèn yuē, yǒuyī yán ér kěyǐ zhōngshēn háng zhī zhě hū, zǐ yuē, qí yuàn hū, jǐ suǒ bù yù, wù shī yú rén yě,
 (子贡问曰,有一言而可以终身行之者乎,子曰,其怨乎,勿施於人也,)
 「子貢問いて曰わく、一言にして以て終身これを行なうべき者ありや。子曰わく、其れ怨(じょ)か。己れの欲せざる所、人に施すこと勿かれ。」
 (子貢がおたずねしていった、「ひとことだけで一生行っていけるということがありましょうか。」孔子はいわれた、「まあ恕(思いやり)だね。自分の望まないことは人にしむけないことだ。」と。)